他学界からの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:13 UTC 版)
一部の哲学者は、AI研究者の主張に強く反論した。最初の批判者の1人 John Lucas は、ゲーデルの不完全性定理が形式体系(コンピュータプログラムなど)では人間が真偽を判断できることも判断できない場合があることを示していると主張した。ヒューバート・ドレイファスは60年代の守られなかった約束を嘲笑し、人間の推論は「記号処理」などではなく、大部分が身体的かつ本能的で無意識なノウハウによっているとし、AIの前提を批評した。1980年、ジョン・サールが提示した中国語の部屋は、プログラムが記号群を使っているからといって、それについて「理解」しているとは言えないことを示したものである(志向性)。記号群が機械にとって何の意味もないなら、その機械は「思考」しているとは言えないとサールは主張した。 これらの批判は、AI研究者には的外れに見えたため、ほとんど真剣に受け取られなかった。intractabilityと常識推論(英語版)の問題の方が身近で差し迫ったものとして感じられていた。「ノウハウ」または「志向性」が実際のコンピュータプログラムにどんな違いを生じさせるかは不明瞭だった。ミンスキーはドレイファスとサールについて「彼らは誤解しているから、無視してかまわない」と述べた。当時MITで教えていたドレイファスは冷たくあしらわれることになった。後に彼はAI研究者らが「あえて私と昼食をとり、目を合わせないようにした」と述べている。ELIZAの作者ジョセフ・ワイゼンバウムは、同僚たちのドレイファスへの対応が子どもっぽいと感じた。彼もまたドレイファスの考え方には率直に批判していたが、彼は「彼らのやり方が人を扱う方法ではなかったと意図的に明らかにした」 ケネス・コルビー(英語版)がELIZAを使ってDOCTORというセラピストの会話ボットを書いたことをきっかけとして、ワイゼンバウムはAIについて真剣に倫理的疑念を抱くようになった。コルビーがそれを実際の治療に使えるツールと考えたことにワイゼンバウムは混乱した。確執が始まり、コルビーがそのプログラムへのワイゼンバウムの寄与を認めなかったことで事態は悪化した。1976年、ワイゼンバウムは『コンピュータ・パワー 人工知能と人間の理性』という本を出版し、人工知能の誤用が人命軽視につながる可能性があると主張した。
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