他の手段の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 11:17 UTC 版)
西洋で最初に母乳以外の方法が一般的になったのは15世紀末のことだった。多くの親が母乳の代わりに牛や羊の乳を与えたのである。これは当時の労働条件が定期的な授乳を容易に許さなかったからである。牛や羊の乳を与えることの問題点が表れると、このやり方は消えていき、16世紀末には再び母乳栄養がほとんどの家庭で好まれるようになった。1583年にイタリア人Hieronymus Mercurialisが記す所によると、一般に母親は早ければ3か月、遅くても13か月で断乳したとのことである。 再度母乳離れが進んだのは、19世紀のことで、小麦粉やシリアルをブイヨンや水でといたものを用いたDry nursing(dry nurseは乳を出さない乳母のこと)である。これもすぐに消えた。この頃には都市化が進み、都市部と田舎では授乳の習慣に明確な差が生じていた。都市部では代替する食品が手に入りやすかったので授乳期間は田舎より相当短かった。 小児用ミルクを開発したのはアンリ・ネスレ(食品企業「ネスレ」の創始者)で、1860年代のことである。粉ミルクは第二次世界大戦後のベビーブーム時代に爆発的な売れ行きをしめすこととなった。先進国での出生率が落ち着き、売れ行きが落ちると、ネスレ他の企業は工業化が進んでいない国々に向けて攻撃的なマーケティングの鉾先を向けた。一方、工業化が進んだ国では政府が率先して母乳栄養の利点に光を当てる戦略にでた。
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