他の戸室氏
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相模戸室氏 『田原族譜』によると、佐野国綱の四男、加古茂綱が上野国加古村(恐らく加古氏の由来と同じく、下野国足利荘加古郷の事。現・栃木県足利市久保田町)を経て相模国三浦郡佐野村(現・横須賀市佐野町)に移住した。彼の末裔は佐野姓だったが、その中の戸室忠春とその子孫が相模国で戸室姓を名乗ったという。 相模国のどこの地域に居住したのかは不明だが、旧相模国内に愛甲郡戸室村、戸室村新田(現・神奈川県厚木市戸室)という地名がある。 宇都宮戸室氏 宇都宮氏の家臣として「旧臣姓名書」に「大羽村(現・栃木県芳賀郡益子町大字上大羽、下大羽)戸室将監」、「上荒針村(現・宇都宮市大谷町)戸室茂衛門」という2つの家系が見られる。 前者は慶長2年に常陸国の八田氏に仕えていた石下氏が宇都宮宿鉄砲町(現・宇都宮市馬場通り)に移住して戸室に改姓、代々将監、もしくは元蕃を名乗り、鋳物師として江戸時代末期まで活躍した。清巌寺や善願寺に文化財が残っている。 後者は那須記の河内郡大谷村(現・宇都宮市大谷町)に、多気山城の支城主として戸室惣左衛門という人物が記載があり、戸室山神社が残っている。 柴又戸室氏 東京都葛飾区柴又の旧家とされている。檀家である石照山真勝院真光寺には元和3年(1617年)の墓や文化6年(1809年)の碑文が残っており、柴又八幡神社の氏子も務めている。明治期までは、現在の柴又帝釈天参道に当たる土地やその周囲で農業を営んでいたが、大正、昭和初期には米屋、煎餅屋、たばこ屋などの商業、宅地経営を始め、昭和末期には完全に農業から転換している。家紋は「丸に三つ盛亀甲花菱」。 家紋 丸に三つ盛亀甲花菱
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