交換船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 07:39 UTC 版)
占領地の拡大に伴い、1942年5月、開戦により交戦国や断交国に残された外交官や民間人(企業の駐在員や留学生、研究者、それらに帯同した家族など)を帰国させるための交換船に関する協定が結ばれ、日本とその同盟国、およびアメリカとその同盟国の間で1942年6月と1943年9月の2回、日本とイギリスおよびイギリス連邦諸国との間では1942年8月の1回、交換地となる中立国へ向けた交換船が運航されることになり、第一次日米交換船として浅間丸が使用されることになった。なおこの際に、軍役に就いている船舶による中立国への入港は国際法上禁止されていたため、一時的に軍役を外れて日本郵船へと戻ることになった。 1942年6月17日に、同じく交換船として運航されたコンテ・ヴェルデとともに横浜を出航し、上海や香港、サイゴンで、同地を含む日本の勢力圏内に住み抑留されたイギリス人やアメリカ人などを乗せて、交換地のポルトガル領東アフリカ(現:モザンビーク)のロウレンソ・マルケスへ向かい、7月22日にロウレンソ・マルケスに入港した。7月26日に、アメリカ側から来たグリップスホルム(スウェーデン船籍)によって運ばれて来た、アメリカやブラジル、メキシコやパナマなどの中南米の連合国(その多くは開戦後日本との国交を断絶した)に住み拘留された日本人と、日本の同盟国のタイ人を乗せてシンガポール(昭南)に向け出航し、8月20日に横浜に帰港した。
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