事故直後の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 16:16 UTC 版)
ICMESA社や自治体による初動対応はお粗末な物であった。事故直後に住民が受けた説明は、地元産の野菜や果物を食べないようという指示のみであった。ダイオキシンが放出されたことが公表されたのは事故から1週間後であり、除去開始にはさらに一週間を要している。TCDDの毒性が詳しく分かっていなかったこともあり、事故が公表されてから住民は恐怖に陥った。 汚染地域は、土壌表面のTCDD濃度を基にAゾーン、Bゾーン、Rゾーンの3種に分類される。 Aゾーン:TCDD濃度が50μg/m²以上の地域。住民数736人。 Bゾーン: TCDD濃度が5μg/m²以上50μg/m²未満の地域。人口約4,700人。 Rゾーン: TCDD濃度が5μg/m²未満の地域。人口約31,800人。 事故の当日中に、家禽やウサギなど3,300羽の動物が死亡。また食物連鎖によるTCDDの拡散を防ぐため、生き残った動物も殺処分され、その数は1978年までに約80,000匹となった。皮膚に炎症を起こした15人の子供が病院に運ばれている。8月末までにAゾーンはフェンスで完全に隔離された。1,600人の住民を検診した結果、447人に皮膚損傷あるいはクロロアクネと呼ばれる独特の吹き出物が生じていた。また妊婦には特例として中絶が認められたため、相談所が設けられた。ICMESA社の技術責任者であるHerwig von Zwehlと、生産責任者であるPaolo Paolettiが逮捕された。汚染地域を隔離・除染するための委員会が設立され、イタリア政府は400億リラを支出した(2年後までに支出額は3倍となった)。
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