事故直前の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 02:21 UTC 版)
「近鉄奈良線列車暴走追突事故」の記事における「事故直前の対応」の解説
事故当時、電車はどの車両もほぼ満員の状態であり、それでいて事故の規模の割には死傷者が少なかったのは、生駒トンネルを抜けた時点で運転士が異常に気づき、この先に連続下り勾配が控えていることが乗客に周知されたこと、更に乗客の中に通勤途中の警察官や国鉄職員、近鉄社員が居合わせ、乗客の動揺を静める、衝突に備え身を伏せるなどの体勢を取らせる、各車の手動ブレーキをかける、空気抵抗を増して減速させようと窓を開ける、などの可能な限りの協力を行ったことなどの要因が重なった結果であると指摘されている。 事故発生地点1駅手前の瓢簞山駅では、本来ならば急行が停車するはずである石切駅(瓢簞山駅より3駅手前)を通過したという通報を受けたため、先行して走り同駅を通過する予定であった準急電車を急遽待避線に入れ、ポイントを切り替えたところで問題の電車が猛スピードで通過して行ったという話も残っている。瓢簞山駅は下り勾配の最終点で、それ以降は平坦線となることから、事故を起こした列車は瓢簞山駅を通過した頃が最も速度を出していたと推測されている(100km/h程度)。そのため、もし準急電車に衝突していれば更に死傷者数は増えた可能性が高いとされている。 当該列車の運転士と先頭車両に居合わせた近鉄社員は、衝突のその時まで先頭車両から退避することなく運転席に留まり続け、運転士は顎の骨を折るなどの重傷を負い、近鉄社員はブレーキを握りしめたまま死亡した。この近鉄社員は当時存在していた高安工場の職員であったという。
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