事故と引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 07:09 UTC 版)
「モーリス・ストークス」の記事における「事故と引退」の解説
この試合でストークスはリバウンドを巡ってレイカーズのヴァーン・ミッケルセンともつれ、コートに叩きつけられた。頭に強い衝撃を受けたストークスは気絶したが気付け薬を与えられて復活。試合にも復帰し、この日のゲームハイとなる24得点を記録している。 その後何事も無かったかのようにデトロイト行きの夜行列車に乗り、彼にとっては初となるプレーオフに臨んだ。デトロイト・ピストンズとの第1戦、ティップオフの30分前、ストークスは突如吐き気を催した。ストークスはついに堪えきれなくなり嘔吐してしまうが、周囲もストークスもただの風邪と思い込み、それがストークスにとって危険な兆しであることに気づかなかった。深刻な事態と受け止めなかったストークスは試合に強行出場するものの、この日は12得点15リバウンドと彼にとってはやや物足りないものであり、試合もロイヤルズの敗北に終わった。 試合後チームは第2戦が行われるシンシナティに戻るため、ウィローラン空港から飛行機に乗った。離陸してから45分後、ストークスを再び吐き気が襲った。それは以前よりも激しいもので大量の汗を伴うものであり、ストークスに死を予感させるほどのものだった。「私は死ぬかもしれない」と漏らすストークスに彼のチームメイトも激しく狼狽した。ついに呼吸不全に陥ったストークスに客室乗務員は酸素ボンベによる呼吸を試みたが、症状は回復を見せず、ストークスは死を覚悟した。ストークスは死ぬ時はクリスチャンになって死にたいと常々思っていたため、この時彼はチームメイトのリッチー・リーガンに頼んで略式の洗礼を受けている。シンシナティまでは90分以上掛かるため、デトロイトに引き返した方が早く治療を受けられたが、プレーオフのスケジュールを遵守するチームオーナーとモーリス・ポドロフリーグコミッショナーの意向で機はそのままシンシナティへと向かった。シンシナティに到着し、救急車に運ばれた時点で、ストークスは意識を失った。ストークスはそのまま入院し、彼を欠いたロイヤルズはピストンズに2連敗を喫して、その年のプレーオフを終えた。 ストークスは昏睡状態から回復せず、復帰するどころか、24時間の介護を受けなければ1週間も生きてはいられない状態となった。この年ロイヤルズは売却され、新オーナーはすでに選手としての先がないストークスとの契約を解消し、ストークスは自らその意思を示さぬまま事実上の引退に追い込まれた。当時NBAの選手会は殆ど実行力を持たず、選手を守るための法整備も殆ど進んでおらず、年金も医療保険もなかったため、ストークスは裸同然のままリーグから放り出されたことになった。ストークスの介護には年間1万ドルも掛かり、彼とその家族にはその莫大な医療費を払えるあてなど、どこもにもなかった。
※この「事故と引退」の解説は、「モーリス・ストークス」の解説の一部です。
「事故と引退」を含む「モーリス・ストークス」の記事については、「モーリス・ストークス」の概要を参照ください。
- 事故と引退のページへのリンク