事故と引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 06:42 UTC 版)
1958年シーズン開幕前、ニューヨークのハーレムで酒屋を営んでいたキャンパネラは、車を運転して店からロングアイランドの自宅に戻る途中、路上の氷片にぶつかって横転する事故を起こした。この事故で下半身麻痺となり、以後終生車椅子での生活を余儀なくされた。最初は手も動かせない状態であったが、懸命なリハビリに取り組み両手を動かせるまでに回復した。 1959年にはヤンキースとの引退試合が挙行され、キャプテンのピー・ウィー・リースが押す車椅子に座ったキャンパネラが登場すると、本拠地ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムを埋めた93,103人の大観衆は、一度もロサンゼルスでプレイすることのなかった名捕手に大歓声と総立ちの拍手を送り、キャンパネラは涙が止まらなかった。この試合は非公式戦(オープン戦)であったが、MLB史上最多観客を記録した試合として、半世紀近く記録に残った。(2008年3月29日、ドジャースのロサンゼルス移転50周年を記念したオープン戦(対レッドソックス)が同じロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで開催され、米国スポーツ史上最多、そして世界の野球史上でも最多となる115,300人の観客を動員し、更新された。) 1969年、投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。アフリカ系アメリカ人関係の選手としては、チームメイトだったジャッキー・ロビンソンに次ぐ栄誉だった。その3年後の1972年6月4日に、キャンパネラの背番号『39』が、サンディ・コーファックスの『32』、ジャッキー・ロビンソンの『42』と共にドジャース初の永久欠番に指定された。 その後はカリフォルニア州に居を移し、古巣ドジャースのアドバイザーとして、車椅子の身ながら長くチームに携わっていた。1993年6月26日に心臓発作のため、カリフォルニア州ウッドランドヒルズの自宅で死去。
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