九鬼喜久男市長による政治問題化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 12:05 UTC 版)
「四日市ぜんそく」の記事における「九鬼喜久男市長による政治問題化」の解説
公害の発生だけで即裁判となるのではなく、戦後の高度経済成長期は日本全国でコンビナートによる大気汚染があり、公害問題は存在していた。四日市市以外の地域では神奈川県川崎市の川崎公害があった。昭和30年代から、国家政策に基づいて京浜工業地帯の一部である川崎市臨海部に石油化学コンビナートが建設されて、東京電力により火力発電所が設置されて、日本鋼管製鉄所も稼働していた。川崎市臨海部のコンビナート工場群からの大気汚染物質の排出に加えて、昭和40年代以降のモータリゼーションによる自動車交通量の急増が加わり、川崎区・幸区を中心として激甚な大気汚染が出現した。川崎市で川崎ぜんそくと呼ばれる健康被害が発生した。その他の大気汚染による昭和時代戦後期の公害として、岡山県の水島臨海工業地帯にも水島コンビナートの汚染物質によって大気汚染が拡大した公害があった。他には阪神工業地帯の阪神地域で発生した西淀川公害訴訟などの大阪公害や首都圏にも大気汚染が発生する環境問題があった。なぜ四日市ぜんそくだけが他の地域と比べて特に問題となったのかと云う疑問があるが、中京工業地帯の一部である四日市市特有の政治的な地域事情がある。 四日市コンビナートを誘致した平田は、公害患者への医療費無料化などの政策で公害対策を真面目に行っていた。四日市市と塩浜地区を中心とする公害患者の関係は良好であった。 平田の死後に四日市市長となった九鬼喜久男が「今は石油化学産業の時代で、工業化と化学のおかげで今の日本がある。私は四日市市長として四日市の工業化をもっと進行させる」として四日市市議会で表明した。公害対策を真面目に取り組まず「工業化のために四日市市民に少々犠牲が出ても良い」と発言して公害患者や塩浜地区民と対立した。九鬼の公害対策の不備による政治問題化が四日市公害裁判の要因であり、訴訟の大きな引き金となった。
※この「九鬼喜久男市長による政治問題化」の解説は、「四日市ぜんそく」の解説の一部です。
「九鬼喜久男市長による政治問題化」を含む「四日市ぜんそく」の記事については、「四日市ぜんそく」の概要を参照ください。
- 九鬼喜久男市長による政治問題化のページへのリンク