九寨溝県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 15:52 UTC 版)
中華人民共和国 四川省 九寨溝県 | |
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中心座標 北緯32度54分 東経101度42分 / 北緯32.900度 東経101.700度 | |
簡体字 | 九寨沟县 |
繁体字 | 九寨溝縣 |
拼音 | Jiǔzhàigōu Xiàn |
カタカナ転写 | ジュウヂャイゴウシェン |
チベット語 | གཟི་རྩ་སྡེ་དགུ་རྫོང་། |
ワイリー方式 | gzi-rtsa sde-dgu rdzong[1] |
蔵文拼音 | Sirza Degu Zong |
国家 | ![]() |
省 | 四川 |
自治州 | アバ・チベット族チャン族自治州 |
行政級別 | 県 |
面積 | |
総面積 | 5,286 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 6 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0837 |
郵便番号 | 623400 |
行政区画代碼 | 513225 |
公式ウェブサイト: http://www.jzg.gov.cn/ |
九寨溝県(きゅうさいこう-けん、中国語簡体字:九寨沟县)またはシルツァデグ県(シルツァデグ・ゾン、チベット語:གཟི་རྩ་སྡེ་དགུ་རྫོང་།)は、中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州に位置する県。四川省の北部にあり甘粛省南部と接する。
もとは南坪(ナンペル、rnam-'phel)県と称したが、県内にある世界遺産の景勝地、九寨溝風景区にちなみ1998年に改名された。
地理
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歴史
現在の九寨溝県の地域には新石器時代の遺跡が残されており、その歴史は少なくとも5,000年前にさかのぼるとされている。かつて南坪県は「羊峒」と呼ばれていた。
商(殷)朝から秦の時代にかけて、この地域は羌族の地に属しており、西漢時代には広漢郡に属する甸氐道の一部であった。北周の天和元年(566年)、吐谷渾の可汗(君主)である龍涸王莫昌が北周に下り、この地域が編入され「扶州総管府」が設置された。以後、この地域は隋から明朝に至るまで一貫して「扶州」と呼ばれていた。
清の雍正年間(1723–1735年)、元の扶州城が破壊されたため、その南部の南坪壩に新たに城が建設され、「南坪営」と名付けられた。これにより「南坪」という名称が広く使われるようになった。1953年に南坪県が発足、1998年に九寨溝県に改称された。
2017年8月8日、この地域でマグニチュード7.0の地震が発生した。この地震により、29人が死亡、1人が行方不明、543人が負傷した。
行政区画
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
鎮 | 5 | 永楽 漳扎 双河 黒河 勿角 |
郷 | 9 | 永豊 永和 安楽 白河 保華 郭元 草地 玉瓦 大録 |
交通
道路
- 省道
航空
最寄りの空港は四川九寨黄龍空港で、隣接する松潘県にあり、九寨溝風景区まで88kmの距離にある。
観光
- 九寨溝風景区:ユネスコ世界遺産(自然遺産)、中華人民共和国国家級風景名勝区[2]、中国5A級観光地[3]、国家級自然保護区、国家地質公園、ユネスコの生物圏保護区でもある[4]。ジャイアントパンダ、キンシコウの生息地としても知られる。
健康・医療・衛生
- 九寨溝県人民医院
関連項目
脚注
- ^ 鈴木博之「ヒャルチベット語九寨溝・玉瓦「gZhungwa」方言の音声分析」『アジア・アフリカの言語と言語学』第3号、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2008年9月、135-168頁、ISSN 1881-3283、 NAID 120001399393。 p.136 より
- ^ 中華人民共和国国務院 (1982年11月8日). “国务院批转城乡建设环境保护部等部门关于审定第一批国家重点风景名胜区的请示的通知” (中国語). 北京法院法規検索. 2023年2月5日閲覧。
- ^ “阿坝藏族羌族自治州九寨沟旅游景区”. www.mct.gov.cn. 中華人民共和国文化観光部 (2021年7月22日). 2023年2月3日閲覧。
- ^ “九寨沟景区官方网站 - 关于九寨” (中国語). www.jiuzhai.com. 九寨沟风景名胜区管理局. 2023年2月3日閲覧。
固有名詞の分類
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