主な検出遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:35 UTC 版)
唐古・鍵遺跡の約10倍の規模を持ち、東北地方の一大軍事拠点であった多賀城跡よりも大規模であるとする。また、都市計画がなされていた痕跡と考えられる遺構が随所で確認されている。 矢板で護岸した幅5m、深さ1mの直線的な巨大水路が2本あり、「北溝」「南溝」と称される。 南溝:箸墓古墳の突出部先端付近の巻向川から北西方向の現纒向小学校方向に延びる。水源は箸墓古墳周濠。濠の背後に国津神社があり、現在の巻向川に到達する。 北溝:北東の旧穴師川から南西方向に延びる。水源は旧巻向川である。 両溝の合流地点は纒向小学校グラウンドの中にあり、推定2,600mにおよぶ。これは大和川と通じており、遠く外海へと結ばれている。 底からは湧水がみられ、内部は大きく分けて3層に分かれている。径約3m・深さ約1.5mの一方が突出する不整形な円の土坑が約150基検出された。 掘立柱建物跡と、これに附随する建物跡(古墳時代前期前半の2×3間で床面積約23m2の建物、家屋倒壊遺構と黒漆塗りの弧文を持つ木製品、1×1間の小家屋と2×2間の総柱建物と弧文黒漆塗木製品、纏向玉城宮跡の石碑、宮殿居館の存在が疑われる。その他に掘立柱建物17棟検出) 竪穴式住居 ただし、竪穴式住居は多くなく、高床式建物が建ち並んでいたものと考えられる。 弧文板・土塁と柵列を伴ったV字形の区画溝 導水施設跡(宮殿の排水施設か) 祭祀遺跡(穴師ドヨド地区の景行天皇纏向日代宮の伝承地から碧玉製勾玉・石釧・管玉・ガラス小玉、4世紀後半の土器など出土) 製鉄跡 - 「ツクシ型送風管」を伴う鍛冶遺跡。畿内で鉄が精錬された4世紀後半のものと推定される。 集落をめぐる柵 遺跡内に点在する古墳(纒向古墳群) また、地上では確認できない埋没古墳が地中に多数埋蔵されている可能性がある。 辻地区 建物B 辻地区 建物C 辻地区 建物D
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