中77系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 19:58 UTC 版)
(130→)(旧)中77:代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 蚕糸試験場前 - 中野駅北口(中野区役所前) - 中野五丁目 - 新井薬師駅前 - 哲学堂前 - 丸山車庫前 - 国立療養所中野病院東口 - 江原町二丁目 - 江古田駅前(1977年12月15日まで。関東乗合自動車→関東バス丸山営業所と共同運行) 中77:新代田駅 - 代田橋 - 和田堀橋 - 堀ノ内 - 東高円寺駅 - 中野駅南口 - 中野区役所前 1957年、関東乗合自動車(現:関東バス)と相互乗り入れの130系統として代田橋~中野駅~江古田駅に運転開始。1972年に系統番号が整理され中77系統となった。都営バスの練馬営業所の運用による池65系統と、哲学堂前から江古田三丁目迄、同じ道を運行するのであるが、池65系統は停車しない関東バスの丸山営業所の停留所に、共通路線の為丸山車庫前として停車していた。 詳細は「都営バス練馬支所#池65系統」を参照 交通局第2次再建計画に伴う路線再編成で中野駅北口(中野区役所前)を境に分断され、中野駅と江古田駅の間は経路を一部変更の上で関東バス単独の中41系統となった。この路線は既にあった中40系統:中野駅北口 - 江古田駅 - 茂呂郵便局前(現:小茂根停留所)の支線と位置付けられたが、関東バスは当時乗客に配布したチラシの中で、中41系統が都営・関東バス共管の中77系統の代替系統であると記載している。これにより中77系統は、中野駅 - 新代田駅前間を走る都営バスの単独系統となった。 しかし短縮前は、中野駅での乗り換えが無くスルー乗車が出来た事で乗客が多数乗車していたのであったが、分断後の中77系統は北半分の関東バス中41系統となった代替系統(中野駅~江古田駅)と対照的に、代田橋~代田操車場(停留所名称は新代田駅前)の回送区間を営業として延長して新代田駅前迄行ける様にしたが、中野駅での乗り換えが発生した為にメリットが無くなった事で、都営バス全体でも有数の赤字を揚げる不採算路線に転落して仕舞い、第3次再建計画に伴う路線再編成では、真っ先に廃止対象に挙げられて仕舞い、1982年(昭和57年)12月25日限りで廃止となった。 詳細は「関東バス丸山営業所#茂呂線」を参照
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