中近世の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 23:10 UTC 版)
鎌倉時代には、承久3年(1221年)6月の承久の乱以降、宇多源氏佐々木氏支流塩冶氏が代々守護を務めた。出雲守護の武将塩冶高貞は、元弘の乱で後醍醐天皇を助け鎌倉幕府を打倒することに功績があった。 南北朝時代/室町時代初頭には、出雲守護の塩冶高貞は北朝・室町幕府についたが、興国2年/暦応4年(1341年)に初代将軍足利尊氏の弟足利直義から謀反の疑いをかけられて誅殺され、塩冶氏は没落した。しかし、代わりに同族佐々木氏でもより嫡流に近い京極氏が出雲守護として入り、室町時代も引き続き宇多源氏佐々木氏による支配が続いた。 東部出雲は荘園守護の管轄下となり、戦国時代には、月山富田城(現:安来市広瀬町富田)を中心とし製鉄を支配し雲伯地方を押さえた戦国大名尼子氏を生み出すこととなる。 江戸期に入ると、松江藩が設置され東部出雲は松江、西部出雲は出雲国造の影響下に入ることとなる。更には、松江藩傘下の東部では明治期に見られた廃仏毀釈の逆の影響が認められたりもする。つまり上古より同じ出雲でも、東西の主権が別々の歴史的見解を残すため、出雲の歴史はわかりづらいものとなっているとの指摘がある。 伝統産業であった製鉄で財を成した出雲三名家(田部家、桜井家、絲原家)は、現在も島根県下の実力者である。
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