中山民俗学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 15:48 UTC 版)
「中山太郎 (民俗学者)」の記事における「中山民俗学」の解説
民俗学研究の一般的手法であるフィールドワークを殆ど行わず、史料文献を多用する研究方法から自らの学問を歴史的民俗学と称した。 中山民俗学の基礎は、上京後に図書館通いを続けあらゆる地誌類を読み作り上げた三万枚ものカードであった。柳田國男に「上野の図書館の本を全て読もうとした男」と怖れられるほどの読書家でもあった。 中山は研究者として執筆活動に専念した五十歳のころに売笑・婚姻・巫女・若者・盲人・祭礼・信仰・葬儀・伝説・職人の十種の研究を上古から現代まで民俗資料をもとにして編年史を纏め上げる壮大な野望を持った。うち五つは完成させた。 柳田國男は中山の『日本巫女史』を評価しつつも「(前略)欠点をいふならば読んで余りに面白いこと、もしくは史料が雑駁に過ぎて、強ひて価値不同の事実を継合せて、急いで堂々たる体系を備へようとした点であらう(後略)」と述べている。 また南方熊楠も方法論について「中山太郎氏は小生毎度いろいろ世話になる人なり。しかしながら、この人は多忙の人ゆえ、いろいろと氏得意のカード調べに間違い多し。氏の書いたことは出処の沙汰はなはだおろそかなり。(中略)氏の『日本巫女考』ははなはだ有益なるものなり。しかし麁笨なることも多し。」(原文のママ)と辛辣な意見を述べている。 中山は「ジャーナリストの悪いところだけ受け容れて、間口ばかりで奥行のない人間となってしまひ」とこうした批判を認めるようなことも書いている。
※この「中山民俗学」の解説は、「中山太郎 (民俗学者)」の解説の一部です。
「中山民俗学」を含む「中山太郎 (民俗学者)」の記事については、「中山太郎 (民俗学者)」の概要を参照ください。
- 中山民俗学のページへのリンク