中山法華経寺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:20 UTC 版)
天保12年(1841年)、この寺の24歳と71歳の僧が大奥の奥女中を含む多くの婦女を騙し、肉体関係だけでなく貴重品も取って奢侈に耽るなどし、僧侶にあるまじき行状として幕府の耳に入った。大奥の綱紀粛正を進めていた老中水野忠邦は内偵ののち風聞書を作成して寺社奉行の阿部正弘に提出、寺社奉行の調査の結果、日尚と日啓という2名の僧が逮捕された。自白によると、老僧日啓は30年前から計30人ほどと関係があったことがわかった。日啓には遠島、日尚には晒 (刑罰)の上、触頭引き渡しが言い渡された。徳川家斉の側室専行院や奥女中たちも関わっていたがそれに触れずうまく裁いたとして、この一件で弱冠22歳の阿部正弘は名声を上げた。
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