中国大陸における火縄銃とは? わかりやすく解説

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中国大陸における火縄銃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 02:02 UTC 版)

火縄銃」の記事における「中国大陸における火縄銃」の解説

中国大陸へは、明朝時代15世紀火縄銃伝来し東南アジア経由伝来した南蛮系(スペインポルトガル)の緩発式のもの(頬付けの短床形)と、西域経由伝来したオスマン帝国系の緩発式のもの(肩付け形の銃床有する)の二つ系統があった。日本から瞬発式に改良され火縄銃伝来するとその命中率の高さから鳥銃あるいは呼ばれオスマン系の銃は特に露密銃と呼ばれた明朝時代秀吉朝鮮征伐朝鮮救援する為に出兵した際、日本軍による火縄銃集団使用洗礼を受け威力認識し、軍の装備に採り入れられることとなった。続く清朝においても八旗緑営装備として引き続き採用されている。 清代には、大砲補完する装備として抬たいそう)と呼ばれる大型火縄銃採用された。口径銃身長のいずれも通常の火縄銃より拡大したもので、全長3m重量約12-18kgとされ、射撃の際は銃身三脚架または射手以外の兵士の肩に依託し使用された。兵士2名程度担いで移動することができる。大砲移動困難な山間部水郷地帯での使用のために開発されたもので、後年清仏戦争日清戦争期の頃まで使用された。日本狭間筒後述)とも類似性のある銃器である。 明朝における銃兵による陣形 清朝における八旗火縄銃兵(19世紀後期) 抬運用する清朝緑営兵士19世紀中頃

※この「中国大陸における火縄銃」の解説は、「火縄銃」の解説の一部です。
「中国大陸における火縄銃」を含む「火縄銃」の記事については、「火縄銃」の概要を参照ください。

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