世界遺産としてのサラーフッディーン城とは? わかりやすく解説

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世界遺産としてのサラーフッディーン城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 04:07 UTC 版)

サラーフッディーン城」の記事における「世界遺産としてのサラーフッディーン城」の解説

この世界遺産世界遺産登録基準のうち、以下の条件満たし登録された(以下の基準世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳引用である)。 (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築技術記念碑的芸術都市計画景観デザイン発展関し人類価値重要な交流を示すもの。 (4) 人類の歴史上重要な時代例証する建築様式建築物群、技術集積または景観優れた例。 サラーフッディーン城ラタキアアンティオキアを結ぶ通商路を扼する要所位置し長さ700メートルわたって並行して流れる2筋の渓谷挟まれ尾根の上に建つ。この尾根は東の台地接続するビザンツ人は城の東の接続路を遮るように城壁築いて要塞化した。城壁不規則に屈折し何箇所かに側面攻撃用の塔が立っている。尾根の麓にあたる城壁外側には集落があった。ビザンツ時代自然石くりぬいて構築された堀は、幅14メートルから20メートル156メートル長さ渡って城壁沿って伸び跳ね橋設置されていた箇所では28メートルもの高さがある。 この砦の最も素晴らし部分は、露出した岩盤まで掘られ深さ28mもの濠である。おそらくビザンティン時代掘られとされるが、完成したのは十字軍時代とみられる。濠は、城の東に沿って156mにわたって伸び、幅は14mから20mあり、これを渡るのは高さ28mの岩の尖塔支えられ跳ね橋のみである。 城門は砦の南にある。門の右は十字軍造った稜堡守備塔があり、数メートル先に別の守備塔がある。濠を見下ろす大きな見張り塔のすぐ横には厩と貯水槽がある。この見張り塔の壁は厚さ5mもあり、敷地面積はおよそ24平方mである。北には、かつて跳ね橋のあった城門がある。砦中央にはビザンティン時代城塞があり、中には大きな水槽十字軍作った東屋ビザンティン造った二つ礼拝堂のうちの一つの隣に十字軍作った教会がある。 アラブ人が砦に追加した部分には、カラーウーン時代モスクや、中庭などのある風呂造られ宮殿などがある。これらは少しだけ修復されている。

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