下り線門司方圧気工法部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)
「関門トンネル (山陽本線)」の記事における「下り線門司方圧気工法部」の解説
下り線トンネルの511K875M50から512K016M50までの延長141メートルは圧気工法で施工した。この区間では、当初は潜函工法の採用を予定していたが、玉石が埋まっていたことや深部の風化が進んでいないことなどから潜函工法採用の最終決定ができず、水抜坑を掘削して地下水位を低下させれば普通工法で掘れるのではないかとの意見が出て水抜坑を掘削する方針に変更となった。 水抜坑を普通工法で単純に掘り抜くことはできないと考えられたため、圧気工法を採用することにした。この区間に着手した時点で、門司方立坑の井筒は沈降済みで蓋を外してエレベーターを設置する工事が始まっていたため、立坑側から圧力をかけた状態で掘削を開始することはできなかった。一方、終点方にある潜函工法で沈降させた単線潜函には、圧気をかけて作業をするための設備が整っていたため、これをそのまま利用して潜函側から立坑へ向けて水抜坑を掘削することにした。水抜坑は本線トンネルの施工基面の下3メートルの位置に掘削された。この水抜坑は順調に掘削されたものの、透水性に乏しい粘土質の地質であったためか、坑内の減圧を行ってもあまり地下水の排水ができず、地下水位は思うように低下せずに水抜きの試みは失敗に終わった。 しかし水抜坑の掘削により圧気工法の採用に自信を得たため、本トンネルの掘削も圧気工法で行う方針に切り替えた。作業は頂設導坑先進で進められ、当初は鋼製アーチの支保工を建てていたのが、予想以上に地質がしまり土圧もほとんどなかったため、木製アーチの支保工に切り替えた。42メートルまで掘削した段階で、それまで中断していたシールド工法区間でシールドが再発進することになり、そちらに労働力を回すために1か月ほど掘削を中断した。シールドが順調に再発進したため余力を得て、圧気工法の区間も再着手することになり、それまでの経験から十分な自信を得たため、全断面掘削に切り替えた。水抜坑は、本坑の工事を終えたあとに埋め戻した。圧気工法区間は、1940年(昭和15年)11月1日に着手し、1942年(昭和17年)3月31日に竣功となった。
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