三橋節子
三橋節子
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三橋 節子
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生誕 | 1939年3月3日![]() |
死没 | 1975年2月24日(35歳没) |
国籍 | ![]() |
出身校 | 京都市立美術大学 |
著名な実績 | 日本画 |
代表作 | 本文参照 |
配偶者 | 鈴木靖将 |
メモリアル | 三橋節子美術館 |
影響を受けた 芸術家 |
秋野不矩 |
三橋 節子(みつはし せつこ、1939年3月3日 - 1975年2月24日)は大阪府に生まれ、京都府京都市で育った画家。京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)美術学部出身。夫は日本画家の鈴木靖将。長男は元バドミントン選手の鈴木草麻生。姪はチェンバロ奏者の三橋桜子。
1973年に利き手の右手を鎖骨の癌により手術で切断。その後は左手で創作を続けたが、35歳で癌の転移により他界した。
晩年には地元近江の昔話を基にした作品を多く手がけた。
没後50年を迎えた2025年(令和7年)、三橋節子をしのぶ展覧会「没後50年 三橋節子回顧展 野草から家族への想いを描いて」が、1月7日から5月25日まで大津市の三橋節子美術館で開催された[1][2]。
個人美術館
主な作品
- 『湖の伝説』
- 『花折峠』
- 『三井の晩鐘』(昭和48年)
- 『余呉の天女』(絶筆、昭和50年)
関連項目
- 梅原猛 - 遺族から送られた「三橋節子画集」、「吾木香」を読み、感動し、『『湖の伝説』―画家・三橋節子の愛と死―』で三橋を取り上げた。
- 植松三十里 - 月刊誌で「時代を生きた女たち」の取材のため、三橋節子美術館に行き、展示室で見た実物の絵画に感動して、彼女を主人公にして小説を書いた作品が「空と湖水」夭折の画家三橋節子、文藝春秋刊である。
- 個人美術館
参考文献
- 三橋節子 - 東京文化財研究所アーカイブデータベース
脚注
- ^ “三橋節子没後50年で回顧展 生死のはざまで描いた家族愛”. 日本経済新聞 (2025年3月14日). 2025年4月2日閲覧。
- ^ “【令和7年1月7日~5月25日】三橋節子没後50年回顧展を開催します”. 大津市役所 (2025年1月31日). 2025年4月2日閲覧。
外部リンク
- 長等創作展示館・三橋節子美術館 - 大津市ホームページ
固有名詞の分類
- 三橋節子のページへのリンク