三元触媒への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 06:19 UTC 版)
1978年(昭和53年)、73年比8%以下というマスキー法を越える当時世界で最も厳しい規制と恐れられた昭和53年排出ガス規制が施行される。スバルは従来型のSEEC-TにEGR及び、吸気温度自動調整装置 (ATC) の追加のみで対応したが、北米を中心に年々厳しくなる排ガス規制値や、エンジン改良の際に排ガス浄化とトレードオフの関係に陥りやすい燃費についてもCAFE規制が開始されたことから、SEEC-Tの原設計のままでは次第に各国の規制値のクリアは困難な状況になっていった。 折しも、1979年(昭和54年)に日本でエネルギーの使用の合理化等に関する法律(省エネ法)が制定され、750kg-1000kg前後で13km/Lという日本型の燃費基準と共に、触媒の定期交換義務が削除されたことから、スバルは日本メーカーで初めてモノリス式三元触媒の採用に踏み切った。当初はO2センサーによる空燃比フィードバック制御は採用されなかったが、それでも燃費はSEEC-T比で2km/Lの向上を示し、北米のCAFE規制値もギリギリで達成した。 その後、スバルは1981年(昭和56年)のEA81型からは、空燃比フィードバックとしては比較的安価なアナログECUの電子制御式キャブレター (ECC) を導入した。1974年の時点で電子制御式燃料噴射装置 (EFI/EGI) のテストは始まっていたが、ECCと比較して高価であったことや、ECCの場合例えECUが故障しても走ること自体は可能であるという冗長性の高さがスバル社内で高く評価されていたことにより、1982年のデジタルECUへの切り換えを経てその後も自然吸気エンジンを中心に長く採用が続いた。同年、軽自動車もレックスの前輪駆動化を契機に2軸式バランサーシャフトと三元触媒方式への切り替えが行われ、SEEC-Tは三元触媒方式へと引き継がれる形で終焉を迎えることとなった。 なお、スバルでのEGIの本格採用は、1983年(昭和58年)のレオーネにおけるターボチャージャー仕様追加からで、各気筒にインジェクタ1本のマルチポイント式 (MPI)、エアフロメーターはEGR制御の観点からLジェトロ方式が選定された。
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