一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:48 UTC 版)
「五箇条の御誓文」の記事における「一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ」の解説
(現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。(木戸当初案)旧来の陋習を破り宇内の通義に従ふへし この条文は由利案や福岡案では存在せず、木戸の修正により登場した。木戸当初案の「宇内(うだい)」は「天下」「世界」の別表現である。「通義(つうぎ)」は「広く一般に通用する道理」という意味である。(いずれも三省堂『大辞林』第三版) この条文を、戦前の研究者尾佐竹猛は、「旧来の陋習」は鎖国攘夷を指し、「天地の公道」は万国公法すなわち国際法の意味であり、この条文は開国の方針を規定したものとして狭く解釈していた。 しかし、これに対し、稲田正次・松尾正人・佐々木克たちは、「天地の公道」は開国の方針や国際法を示すことだけではなかったと明確に説明している。その理由として、御誓文と同時に出された宸翰に出てくる「旧来の陋習」の語がそもそも鎖国攘夷の意味に限定されていないこと、また木戸孝允自身が「打破すべき封建性」「打破すべき閉鎖性」の意味で「旧習」「旧来の陋習」「陋習」という言葉を広く使用していること、また、大久保利通でさえ木戸の「旧来の陋習」と同じ意味のことを「因循の腐臭」とより痛烈に批判していること、つまり、薩長いずれも密留学をさせ倒幕に立ち上がった開明的雄藩であったにもかかわらず長州の木戸より薩摩の大久保のほうが藩主父子・出身藩の内部事情などのためにより批判的にならざるを得ない危険な封建性・閉鎖性をより自覚していたということ(寺田屋事件~西南戦争)、更に、岩倉具視も他の文書で「天地の公道」という全く同じ言葉を万国公法とはおよそ次元の異なる「天然自然の条理というような意味」で用いていることなどが挙げられている。総じて、「天地の公道」(木戸当初案では「宇内の通義」)とは、普遍的な宇宙の摂理に基づく人の道を指しているものと解される。
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