一日目:到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 20:43 UTC 版)
1704年の6月24日(グレゴリオ暦の7月3日)、チャーチはフリゲート艦アドベンチャーでグランプレに着いた。不意打ちの機会を狙おうとして、チャーチはひそかにブート島の深い森の陰から集落に近づいた。兵たちは午後になって捕鯨船から積み荷を降ろして上陸し、すばやく集落の方に向かった。チャーチは大尉のジレスに、休戦協定の旗と完全降伏を要求する告知を持たせ、先頭に立たせた。 我々もまた声明を出す、我々は既にアカディア人を殺して頭皮を剥ぐ準備をしている。こんなことは我々の習慣でもなければ、許されているものでもないが、今や多くのイングランド人とインディアン、すべての義勇兵が、諸君を制圧する決意でいる。我々が諸君と同じこういう方法で戦闘に臨むことで、諸君は自分たちが如何に残虐であるかを感じ取るであろう。 — ベンジャミン・チャーチの声明、 チャーチは、アカディア人とミクマク族に、降伏まで1時間待つと決めた。その時間までには集落に着くと予想していたが、チャーチの隊は、引潮のため流れを渡るのがかなり難しくなり、このため到着が遅れた。「20フィート(約6メートル10センチ)、あるいは30フィート(約9メートル14センチ)の深さの、泥だらけできたない水路にいくつも出くわして、兵たちは渡ることができずに船へと引き返した」 引き潮によるぬかるみで、チャーチの兵たちが立ち往生したせいで、不意打ちもできなくなり、アカディア人たちはこの機会を利用して、家畜や「大事なもの」と共にグランプレを立ち退いた。チャーチ隊は、潮が満ちるまで船で待機した。チャーチは、堤防の高さで、自分たちが隠れるよう望んだが、夜になって潮が満ち、水路の水が盛り上がったため、チャーチ隊の船を、堤防沿いの森に集まっていた地元の民兵が砲撃した。チャーチはこう言っている、アカディア兵とミクマク族は「我々に激しく砲火を浴びせた」 チャーチは自分の船に小さな砲を積んでおり、それで、岸のアカディア兵とミクマク族に対してぶどう弾を浴びせた。アカディア人たちは退却し、ミクマク族の1人が戦死して、数人が負傷した。チャーチと兵たちは朝になるまで待機を続けた。
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