ヴィシャーカパトナムの歴史
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「ヴィシャーカパトナム」の記事における「ヴィシャーカパトナムの歴史」の解説
ヴィシャーカパトナムの都市名は、仏教教団の外護者 ヴィサーカーに由来している説もあるくらい、古くから仏教の拠点として栄えた。ボジャンナコンダ仏教遺跡、トトラコンダ遺跡、バビコンダ遺跡とコトゥル遺跡など、仏教遺跡が多く、仏教徒の巡礼は現在も行われている。また、古代ローマとの貿易関係を持っていた。 ヴィシャーカパトナムの支配者はカリンガ国、マウリヤ朝、前期チャールキヤ朝、パッラヴァ朝、東ガンガ朝、ガジャパティ朝、ムガル帝国と変遷を重ねた。その後、南インドがイギリス東インド会社により植民地されると、ヴィシャーカパトナムはマドラス管区 の支配下となった。 インドが独立を達成すると、五か年計画もあり、ヴィシャーカパトナムは工業化され、また海軍の拠点都市ともなり、人口も独立前の7万人から現在は170万人に増加。インドでGDPが10番目に大きい都市に飛躍した。 2020年5月7日、LG化学の子会社の工場でガス漏れ事故が発生、周辺住民ら11人が死亡、約1000人が病院に搬送、約5000人が体調不良を訴えた。工場は2019新型コロナウイルスの感染拡大の影響により閉鎖されていたが、化学変化等により容量5000トンのタンク2基からガスが漏えいしたもの。 トトラコンダ仏教遺跡。紀元前2世紀創建。ローマとの貿易やグローバルな布教をしていたと考えられている。 バビコンダ仏教遺跡。紀元前3世紀創。 ボジャンナコンダ仏教遺跡(4-9世紀)石窟寺院と石を彫りだした仏舎利塔や仏像がある。 バラハ・ラクシュミナラシマ寺院。東ガンガ朝時代に創建された。
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