ロンドン、シュトゥットガルトとは? わかりやすく解説

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ロンドン、シュトゥットガルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 21:11 UTC 版)

アルチュール・ランボー」の記事における「ロンドン、シュトゥットガルト」の解説

1874年3月から12月末までロンドン滞在したこれまでのロンドン滞在でもそうだが、ランボー読書のために大英博物館図書館通ったこの間、夏に母と妹ヴィタリーロンドン訪れている。当初は、かつてパリ活動をともにした詩人ジェルマン・ヌーヴォー(フランス語版)と渡英し、ヌーヴォーが『イリュミナシオン所収の詩の清書手伝ったこのため没後1895年出版ランボー全集所収の「失われた毒」と題する詩が、ヌーヴォーではないかという論争起こったヌーヴォー多く偽名使っていたため、事態はいっそう複雑であったが、現在では「失われた毒」はヌーヴォー作とされている。邦訳では、中原中也訳『ランボオ詩集』(野田書房1937年青空文庫所収)には「失はれた毒薬未発表詩)」として収められているが、これ以降邦訳された他の詩集には見当たらず粟津則雄編『ランボオ世界』(青土社1974年)にはヌーヴォーの詩「喪われた毒」として掲載されている。 1875年2月13日から独語習得のためにシュトゥットガルト滞在したフランス語家庭教師しながらドイツ語学びイリュミナシオン』の原稿完成させた。3月2日1月16日出所したヴェルレーヌが、シュトゥットガルトランボー訪れたヴェルレーヌランボーとの放浪中に書いた詩は、すでに1874年に『言葉なき恋歌』として出版されていた。ランボーは『イリュミナシオン』の原稿ヴェルレーヌ託しブリュッセルにいるヌーヴォー送って印刷してもらうように依頼した。この原稿この後多くの人の手渡り1886年にようやくその一部文芸誌『ラ・ヴォーグ(フランス語版)』に掲載された。ランボーがすでに詩作放棄し貿易商人としてアビシニア(現エチオピア)にいた頃のことであり、全原稿発表されたのは、没後1895年刊行ランボー全集においてである。 ヴェルレーヌとはこれが最後別れとなった

※この「ロンドン、シュトゥットガルト」の解説は、「アルチュール・ランボー」の解説の一部です。
「ロンドン、シュトゥットガルト」を含む「アルチュール・ランボー」の記事については、「アルチュール・ランボー」の概要を参照ください。

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