ロシアにおける忍者研究の進展
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「忍者とロシアの関係」の記事における「ロシアにおける忍者研究の進展」の解説
20世紀にはいると、ロシア側でも徐々に忍者の研究が行われるようになった。 1899年にウラジオストックで生まれた朝鮮系ロシア人(高麗人)であるロマン・キム(ロシア語版)は7歳で日本に留学、慶應義塾幼稚舎に入学して少年期を過ごした。帰国後、モスクワに移り東洋学院で日本語と極東の歴史についての講師になったキムは、同じソ連の作家ボリス・ピリニャークが1927年に来日時の経験をもとに執筆した『日本印象記―日本の太陽の根蔕』において日本の歴史と文化についての注釈を著しているが、そこで忍者や忍術に関する詳細な記述を残している。これはロシアで初めての忍者に関する解説書であり、世界的に見ても最も早い海外における忍者研究のひとつである。1930年代に入っても、キムは訪日する友人に忍術の文献をロシアに持ち帰らせるなど研究を続行し、忍者に関しての新たな論文の執筆を計画していた。しかし同時にキム自身も、ソビエト連邦に仕えたスパイであった。1937年には日本の在ソ日本大使館と、大使館付武官の官舎の金庫から機密文書を押収した功績により、赤星勲章を授与されている。しかし同じ年に今度は日本のスパイとして逮捕され、終戦まで秘密警察の収容所で機密文書の翻訳の仕事に従事させられた。このため結局忍者に関する論文の執筆は中断することとなる。戦後は自身の経験を生かしてスパイ小説の作家に転身し、中編小説『幽霊たちの学校』では忍術を扱った。このような彼の活動から、キムはしばしば「ソ連の忍者」と称される。
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