ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/21 15:05 UTC 版)
ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス | |
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403形電車 | |
国 | ドイツ |
運行者 | ドイツ連邦鉄道 ルフトハンザドイツ航空 |
始発 | フランクフルト空港 |
終着 | デュッセルドルフ シュトゥットガルト |
運行開始 | 1982年3月27日[1] |
運行終了 | 1993年 |
ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス(Lufthansa Airport Express)は、ドイツのフランクフルト空港とデュッセルドルフ、シュトゥットガルトを結んでいた列車である。ルフトハンザドイツ航空の航空便扱いで1982年から1993年まで運行されていた[2]。
歴史
ルフトハンザドイツ航空(ルフトハンザ)のハブ空港として機能するフランクフルト空港とデュッセルドルフ空港の両空港間の距離は、約200kmと飛行機では短距離であり、旅客数の割に採算が取りにくい状況にあった[2]。これを解決するため、ルフトハンザがドイツ連邦鉄道(DB)の列車を貸し切り、発着容量が限界にあったフランクフルト空港からの短距離航空便を代替することとなった[3]。この画期的な試みは世界の航空業界や鉄道業界で話題となり、鉄道と航空の連携のモデルケースとして注目を集めた。
1982年、フランクフルト空港駅 - デュッセルドルフ中央駅間で403形電車を使用した「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の運行を開始した[2]。1日4往復が設定され[2]、途中ボン(当時の西ドイツの首都)やケルンにも停車し、両都市間を約2時間半で結んだ。翌年にはデュッセルドルフ国際空港まで運転区間が延長されている。この列車はライン川左岸線を経由するため、風光明媚なライン川西岸の古城風景やローレライなど、航空便にはない眺望を楽しめることとなった[2]。
列車の運転はDBの乗務員が担当するが、車内の接客サービスはルフトハンザの客室乗務員による航空便と同等のサービスが提供された[2]。列車には航空便名を付与すると同時に列車種別は全車一等車のTEEとして扱われた。一般の列車の時刻表には掲載されず、乗車の際にはルフトハンザの航空便として航空券を取得する必要があり、通常の鉄道の乗車券では利用できない。
1990年にはフランクフルト - シュトゥットガルト間でも運行を開始し、この系統では機関車牽引の客車列車による運行となった[2]。
利用は好調であったが、403形電車の老朽化などを理由に1993年をもって運転を終了した[2]。廃止後もルフトハンザ航空はフランクフルト - シュトットガルト間のICEの列車の一部座席で「AIRRailサービス」を行っている[2]。また、2022年にはドイツ鉄道が「インターモーダルパートナー」としてルフトハンザ航空が加盟するスターアライアンスへ加盟し、連携を強化している[4]。
車両
デュッセルドルフ方面では、インターシティー用の電車として登場したが1979年より団体用のみで用いていた403形を用いた[1]。1990年運行開始のシュトゥットガルト方面では機関車牽引の客車列車となり、牽引機は当初は111形を使用[5]、翌1991年に高速新線経由となり103形に置き換わっている[6]。
塗装はいずれもルフトハンザのイメージカラーである黄色が塗られた[2]。
脚注
- ^ a b 島田和衛「航空と鉄道の一体輸送」IATSS Review Vol. 14 No.2、1988年6月。
- ^ a b c d e f g h i j 杉山淳一「鉄道トリビア 第154回 航空会社の国内便が電車だった!?」 マイナビニュース、2012年6月9日
- ^ 「欧米における交通分野のグリーンインフラストラクチャー事例調査」、国際交通安全学会、2015年3月。22頁
- ^ Star Alliance Intermodal Partnership Introducing Deutsche Bahn – the first Star Alliance Intermodal Partner(スターアライアンス)
- ^ Baureihe 111 Nahverkehr Franken
- ^ Infoseite Baureihe 103 Planet Poster Editions
外部リンク
ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
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「西ドイツ国鉄403形電車」の記事における「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の解説
詳細は「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」を参照 1980年代に入り、西ドイツのフラッグ・キャリアであるルフトハンザドイツ航空(ルフトハンザ)は、過密な航空交通の緩和と採算性の悪い国内短距離便の効率化を目的に、フランクフルト空港とルール地方の間を航空便扱いで結ぶ列車「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」を運転することになった。その車両として予備的存在となっていた403形に白羽の矢が立てられ、1982年3月より運用を開始した。航空便の代行となるため、乗車には列車の乗車券の代わりにルフトハンザの航空券が必要となる。 本形式については航空便と同様のサービスを提供できるよう各車の車内にまず荷物置き場が設置され、404.1形のビュフェがバーに変更されて4両編成時の定員がインターシティ時代の183名から171名に減少した。さらに機内食の車内提供開始に伴いこれに必要なギャレーが設置されて定員151名となった。 車体塗装は運行開始の時点でルフトハンザのコーポレートカラーに由来する白と黄色の塗り分けに変更されている。 ケルンでのフォトキナ開催時など、多客時には基本編成4両に中間車1両を抜いた他の編成を増結することで最大7両編成で運行された実績があり、4両から7両の範囲で乗客の多寡に応じて編成の細かな増減が行われた。 1990年代に入ると、403形はアルミ製車体の腐食の進行など老朽化が目立つようになった。少数形式で保守に手間が掛かり、費用の問題から更新工事を施工することもなく、1993年のエアポート・エクスプレスの運行終了に伴って、403形も運用を離脱した。
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