ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
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ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス(Lufthansa Airport Express)は、ドイツのフランクフルト空港とデュッセルドルフ、シュトゥットガルトを結んでいた列車である。ルフトハンザドイツ航空の航空便扱いで1982年から1993年まで運行されていた[2]。
- ^ a b 島田和衛「航空と鉄道の一体輸送」IATSS Review Vol. 14 No.2、1988年6月。
- ^ a b c d e f g h i j 杉山淳一「鉄道トリビア 第154回 航空会社の国内便が電車だった!?」 マイナビニュース、2012年6月9日
- ^ 「欧米における交通分野のグリーンインフラストラクチャー事例調査」、国際交通安全学会、2015年3月。22頁
- ^ Star Alliance Intermodal Partnership Introducing Deutsche Bahn – the first Star Alliance Intermodal Partner(スターアライアンス)
- ^ Baureihe 111 Nahverkehr Franken
- ^ Infoseite Baureihe 103 Planet Poster Editions
- 1 ルフトハンザ・エアポート・エクスプレスとは
- 2 ルフトハンザ・エアポート・エクスプレスの概要
- 3 外部リンク
ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 12:19 UTC 版)
「西ドイツ国鉄403形電車」の記事における「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の解説
詳細は「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」を参照 1980年代に入り、西ドイツのフラッグ・キャリアであるルフトハンザドイツ航空(ルフトハンザ)は、過密な航空交通の緩和と採算性の悪い国内短距離便の効率化を目的に、フランクフルト空港とルール地方の間を航空便扱いで結ぶ列車「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」を運転することになった。その車両として予備的存在となっていた403形に白羽の矢が立てられ、1982年3月より運用を開始した。航空便の代行となるため、乗車には列車の乗車券の代わりにルフトハンザの航空券が必要となる。 本形式については航空便と同様のサービスを提供できるよう各車の車内にまず荷物置き場が設置され、404.1形のビュフェがバーに変更されて4両編成時の定員がインターシティ時代の183名から171名に減少した。さらに機内食の車内提供開始に伴いこれに必要なギャレーが設置されて定員151名となった。 車体塗装は運行開始の時点でルフトハンザのコーポレートカラーに由来する白と黄色の塗り分けに変更されている。 ケルンでのフォトキナ開催時など、多客時には基本編成4両に中間車1両を抜いた他の編成を増結することで最大7両編成で運行された実績があり、4両から7両の範囲で乗客の多寡に応じて編成の細かな増減が行われた。 1990年代に入ると、403形はアルミ製車体の腐食の進行など老朽化が目立つようになった。少数形式で保守に手間が掛かり、費用の問題から更新工事を施工することもなく、1993年のエアポート・エクスプレスの運行終了に伴って、403形も運用を離脱した。
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ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
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「ルフトハンザドイツ航空」の記事における「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」の解説
詳細は「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」を参照 ルフトハンザはかつて、「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」(Lufthansa-Airport-Express)という列車の運行に携わっていたこともある。これは都市から空港への連絡列車ではなく、航空便の代替を列車が行うという異例のものであった。 1982年から1993年にかけて、フランクフルト - デュッセルドルフ間のような短距離で採算性の低い国内線の代わりに当時のドイツ連邦鉄道(DB, 西ドイツの国鉄。現在は民営化されドイツ鉄道)に、チャーター列車「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」を運行したのである。 エアポート・エクスプレスは、列車の運転はDBの職員が行うものの、運賃は航空運賃が適用され、客席の乗務員や車内の軽食サービスなどはルフトハンザが行うという形態を取っていた。運行当初DB内での扱いは営業用の「LH」と共に全車一等車ということから「TEE」の列車番号が当てられていた。また、DBの時刻表には掲載されていない。 当初はDBの定期運用から外れて保留となっていたインターシティ向け電車403形を使用し、その後新設されたシュトゥットガルト線は客車列車となった。 現在これを継承するものとして、DBの定期列車であるICEの一部区画を間借りしてルフトハンザ便名を付与し、航空便旅客専用とする「Lufthansa Express Rail」サービスを、フランクフルト(FRA) - ケルン(QKL)・シュトゥットガルト(ZWS)・ドルトムント(DTZ)・カールスルーエ(KJR)・マンハイム(MHJ)・デュッセルドルフ(QDU)間で行なっている。
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