後継機の躓きと延命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 09:44 UTC 版)
「西ドイツ国鉄103型電気機関車」の記事における「後継機の躓きと延命」の解説
一方、1979年に103型の後継機としてインバータ制御・三相交流誘導電動機を本格的に採用した120型電気機関車(試作車)が製造され、1987年からは量産車も製造された。120型は、当時建設が進められていた高速新線 (NBS) での高速運転に対応するため、気密構造の採用やブレーキの改良が施されていた。120型の増備により、103型は第一線の活躍から退くはずであった。 ところが、特に高速運転時において120型の不具合が頻発したため、103型を高速新線で走行可能なように改造することとなった。具体的には、運転台の気密化やブレーキの改良などが挙げられる。その結果、1990年代に入ってからも103型の第一線での活躍が続くこととなった。 1991年から約2年間、「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」用として一部の機関車が白と黄色の専用塗装となり、フランクフルト空港とシュトゥットガルト中央駅を結ぶ系統に運用された(マンハイム - シュトゥットガルト間は高速新線を経由)。 1990年代に入り、120型量産車の塗色(Orientrot (東洋赤色: 暗赤色)1色+前面によだれ掛け状の白い五角形)に合わせて103型の多くが同様の塗装が施されるようになるが、これは不評であったと言われる。塗り替えられずにTEE色のままで残った車両や、前述の「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」塗装、鉄道模型メーカーロコ社の広告塗装として101型同様の Verkehrsrot (交通赤色: 朱色)となった車両(103 233号機の1両のみ)、団体列車用(青ベースの派手なもので、103 220号機の1両のみ)も存在した。西ドイツ国鉄の民営化でドイツ鉄道が発足したことにより、「DB」のロゴタイプも変更された。 しかし、こうした高速運転で酷使され続けた事での老朽化は如何ともし難く、103型・120型に代わる特急旅客用機関車の開発が進められていくことになる。
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