ラムジー夫妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:04 UTC 版)
ボルダー警察は当初、両親であるジョン・ラムジーとパッツィ・ラムジーにほぼ集中していた。FBIの元プロファイラーであるグレッグ・マクレリーによれば、子供の殺人に関与するのは「統計的に、家族または介護者である確率が12対1」である 。警察は、強制侵入の証拠は見なかったが、身代金のメモなどの現場の演出的証拠は見ていた。彼らはラムジー夫妻が娘の死の解決に協力的であるとは思わなかった。ラムゼイ夫妻は当初から無実を主張したが、殺人事件の後の4ヶ月間警察と話すことを拒否し、その代わりに8人の弁護士、4人の広報担当者、3人の私立探偵、2人の筆跡鑑定人、1人の元FBIプロファイラーからなる弁護団を結成していた。夫妻が捜査に消極的だったのは、侵入者に対する完全な捜査が行われず、事件の重要容疑者として自分たちが性急に疑われることを恐れていたためであるとする報道もあった。 ラムジー夫妻は1997年4月27日付けの新聞広告で10万ドルの報酬を提供した。その3日後、遺体が発見されてから4ヶ月以上経ってから、初めて公式の事情聴取に応じることを申し出た。 1999年、コロラド州知事のビル・オーエンスは、ラムジー夫妻に「弁護士の後ろに隠れるのをやめ、PR会社の後ろに隠れるのをやめよ」と発言した。 コロラド州の大陪審は1999年に両親を起訴するように結論付けた。しかし検察官は証拠不十分として起訴を見送った。 2002年に大陪審の起訴の時効が成立した。 2008年7月9日、ボルダー地方検事局は、DNA検査の結果、ラムジー家の人々を事件の容疑者から除外することを発表した。 理屈の上では、絞殺は暴行や殺害の他の要素を隠すための「レッド・ヘリング」の側面があったかもしれない。 一説に、パッツィが、おねしょをしたジョンベネを怒りに任せて殴り、既に死んでいると勘違いした後、起こったことを隠すために首を絞めたいうものがある。しかし、パッツィには怒りを抑えきれなかった過去は特に知られていなかった。ジョンベネの兄は後に「私たちはお仕置きもされなかった。殺すどころか、指でなぐるようなことすらなかった」と述べている。
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