ラオ・ラッセルと共に バージニア州スワナノアにて(1948-1963)
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「ウォルター・ラッセル」の記事における「ラオ・ラッセルと共に バージニア州スワナノアにて(1948-1963)」の解説
1946年、デイジー(クック)・ステビングという女性からの電話でラッセルの生活は一変した。デイジーはイングランドからの移民で、ボストン在住の元モデルであり女性実業家であった。彼女はグレン・クラークが書いたウォルターの伝記『The Man Who Tapped the Secrets of the Universe(宇宙の秘密をつかんだ男)』を読んでいた。1948年、ウォルターは77歳にして最初の妻と離婚し、44歳のデイジー・ステビングと結婚した。これは一部の物議を醸した。デイジーはラオ(中国の古代思想家老子(発音:ラオ・ツィー)にちなんでいる)と改名した。彼らは仕事場と博物館を兼ねることができる場所を探して、山野を横断する自動車旅行に乗り出した。彼らは、バージニア州ウェインズボロの郊外にある山頂に放置されていた、鉄道王の宮殿のような大邸宅スワナノアを見つけた。 その邸宅は売りに出されてはいなかったが、彼らは50年間のリースで借り受けた。 そこで彼らは博物館とウォルター・ラッセル財団を設立し、1957年にバージニア州から通信制の大学であるUniversity of Science and Philosophyを創設する認可を得た。ウォルターとラオ・ラッセルは共同で複数の著書を著している。その頃行われた原子爆弾の実験に危惧し、それに異議を唱える『Atomic Suicide?』という本を1957年に出版した。その中で彼らは、放射能が燃料として利用された場合、地球と人類に重大な危機をもたらすと警告した。 1963年の核実験禁止条約は核の脅威を軽減したが、依然として放射性物質が生命にとって致命傷となる重大な問題だと主張した。ウォルター・ラッセルは1963年に生涯を閉じたが、その直前まで精力的に仕事をした。ラオは1988年に亡くなっている。 University of Science and Philosophyは1998年にスワナノアを離れたが、ウォルターとラオの著書は今でも売れ続け、世界中で読まれている。
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