ラエサラモアの攻略とは? わかりやすく解説

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ラエ・サラモアの攻略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:25 UTC 版)

ラエ・サラモアへの空襲」の記事における「ラエ・サラモアの攻略」の解説

攻略先立ち日本軍空襲部隊第二十四航空戦隊)は連日のようにポートモレスビーほか、ソロモン諸島ニューギニア島東部各地航空基地珊瑚海に対して偵察爆撃繰り返したが、地上砲火以外に大した反撃はなかった。 攻略部隊3月3日4日総合訓練実施しラバウル集結した3月5日13時にSR攻略部隊ラバウル出撃し、支援部隊同日16時同地出撃した。船団の上護衛聖川丸偵と海軍基地航空隊担当した敵襲もなくニューブリテン島南岸を西航したのち、3月7日SR攻略部隊上陸予定地点にむけて分散したスコール悩まされつつ同7日午後10時30分サラモア東方泊地進入した3月8日1時に陸軍部隊サラモア沖に、2時30分には海軍部隊ラエ沖に到着してそれぞれ上陸開始し7時過ぎまでにはラエおよびサラモア航空基地市街電信施設無血占領することに成功した連合軍守備隊ワウ方面向けて退却し住民ラバウル攻略時にワウポートモレスビー退避していた。 ラエ方面では荒天大発動艇大部分座礁するなどアクシデントがあり、梶岡ウェーク島の戦い経験から駆逐艦での大発動艇引き下ろし命じたまた、これといった港湾施設もないラエでの荷役作業終了見込みは「金剛丸」が10日、「天洋丸」が11日、「黄海丸」が12日とされた。サラモア方面でも荒天上空掩護に欠く有様で、梶岡(および南海支隊派遣参謀)は8日夜に戦闘機隊を至急ラエ派遣するよう打電した双方航空基地には爆破孔あったが、8日午後までには補修終わり、いつでも使用可能な態とした。 なお、第六戦隊司令官五藤存知少将指揮官とする支援部隊3月5日16時ラバウル出撃し(前述)、船団掩護従事したニューブリテン島南方行動したのち上陸成功の報に接して反転し予定どおりブカ島クインカロラ付近占領のため同方面移動した

※この「ラエ・サラモアの攻略」の解説は、「ラエ・サラモアへの空襲」の解説の一部です。
「ラエ・サラモアの攻略」を含む「ラエ・サラモアへの空襲」の記事については、「ラエ・サラモアへの空襲」の概要を参照ください。

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