ライオネル・フィップス、1898年〜
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「恐怖の橋」の記事における「ライオネル・フィップス、1898年〜」の解説
ジェームズは、クロットンに引っ越してきてからおよそ100年後の1898年に死去する。だが、ストーンサークルの丘では、死んだはずの彼の目撃証言が相次ぐ。ライオネルは、父の残した星図を家の中から見つけることができず、母親が盗んで隠したと疑う。母親は、旧支配者を解放することに反対しつつ、ジェームズの研究は自分にはとても手に負えないから何も知らないと言い訳する。口論を盗み聞いた隣人は、内容を理解はできなかったが、ライオネルと母親が対立したことを知る。結局星図は見つからず、ライオネルは文献を閲覧するために大英博物館に出かけ、「エイボンの書」の星図を書き写して持ち帰る。帰宅後、最後の親子喧嘩が勃発し、母親は家を出る。翌朝、彼女の向かった先の道路で女性の骸骨が発見される。 ライオネルが橋を訪れる回数が増える中、奇妙な事件が多発するようになる。ライオネルは召喚実験を行うが、呪文が不完全であることを理解し、1900年に再び大英博物館を訪れ「ネクロノミコン」を読む。司書のチェスタートンは、ライオネルの行動を不審に思い、リヴァーサイド・アレイで多発している不気味な出来事について調べ始める。そしてライオネルが邪悪な妖術師であることを勘付き、彼の陰謀をくじくために行動を始める。1901年、チェスタートンは大英博物館を辞め、引っ越してブリチェスター大学の司書となる。するとチェスタートン宅にライオネルが訪ねてくるようになり、チェスタートンは相槌を打ちつつ引き出した情報から対策を練る。 それから約30年、表向き大騒ぎになるような事件は起こらなかったものの、陰でブリチェスター大学のスタッフは幾つもの超常現象の対処にあたり異界の恐怖を味わっていた。特に1928年は怪現象が多発した年であり、チェスタートンは、星辰が特定の位置に達する時期が近いことに危機感を覚える。そしてある日、チェスタートンはフィップス家から、ネクロノミコンに掲載されている怪物に酷似したスケッチを手に入れる。彼は対抗手段を講じ、ネクロノミコンの呪文をつぎはぎすることで、ライオネルを葬り邪神を再封印するための新たな呪文を作ろうとする。
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