ヨーゼフ・ゲッベルスとの結婚
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「マクダ・ゲッベルス」の記事における「ヨーゼフ・ゲッベルスとの結婚」の解説
1930年、美しく裕福で時間をもてあましていたマクダは友人に誘われ、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)主催の会合に出席したが、その席上、ナチ党党首アドルフ・ヒトラーに高く評価されていたベルリン大管区指導者ヨーゼフ・ゲッベルスと出会う。同年9月、ゲッベルスがナチスの宣伝活動の指揮を任されたころ、マクダもナチスに入党する。政治には決して関心は高くなかったが、地方婦人部会のボランティアとして様々な指導的活動をするうち、党本部で働く希望を持つようになり、ゲッベルスの補佐官であったハンス・マインスハウゼン(ドイツ語版)の秘書として採用され、その後語学力が認められてゲッベルスのために国内外の新聞記事など資料を集める個人秘書となった。マクダはゲッベルスと親密になりながらも以前からの愛人との交際も並行して続けており、1931年の初め、その交際は愛人の射殺という形で終わりを告げた。同年12月19日、前夫クヴァントには知らせぬままクヴァント所有の大農場において、ヒトラーが立会人となってマクダとゲッベルスは結婚式を挙げた。なお、ゲッベルスとヒトラーはどちらもカトリック教徒であり、プロテスタントであるマクダとの結婚によってゲッベルスはカトリック教会から破門され、ヒトラーも戒告処分となっている。ユダヤ人との再婚をしていたマグダの母アウグステからはこの結婚は反対されたため、次のような手紙を送っている。 ドイツの政治的発展には今後二つの可能性が残っていると思われます。即ち共産主義が私たちを飲み込むか、ナチスが天下をとるかの二つです。もし赤旗がベルリンに翻るようになったら資本主義はなくなり、クヴァントからの生活費もなくなります。それに引換え、もしヒトラーの運動であるナチズムが権力を握れば私はドイツのファースト・レディーになるでしょう。
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