ユニバーサルバンキングへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:02 UTC 版)
「大和銀行」の記事における「ユニバーサルバンキングへ」の解説
1988年4月、創業70周年を機にヴィジュアルアイデンティティ(VI)開発を実施した。激化する金融機関の競争、金融の自由化、国際化の進展などに積極的に対応する姿勢を明確にイメージづけるために実施した。りそな銀行に統合された後も、このVIは同じりそなグループの近畿大阪銀行で近年まで使用されていた。 1991年には新本店ビルが竣工し、旧本店ビルとその周辺に分散していた本部機能を集約し、情報機能の一元化と生産性の向上を図った。1994年3月には、東京営業部・東京本部が入居する大手町の日清生命館の建て替えで大手町では当時一番の高さを誇った大手町野村ビルが竣工した。リテール分野では、通帳などに使用するキャラクターに原田治、円谷プロダクション(ウルトラマンキッズ)、アランジアロンゾを起用し親しまれた。 1993年9月には、顧客に利回り保証を行う「飛ばし」事件で経営危機(債務超過)に陥った系列会社のコスモ証券(現在の岩井コスモ証券)を救済するため、第三者割当増資を引き受け、証券子会社とした。この結果、大和銀行は、銀行・信託・証券の一体経営を行うことになり、国内初の「ユニバーサル・バンキング」を実現した。この当時は都銀が株式取次ぎができる証券会社を持つことはまだ認められていなかったが、コスモ証券が債務超過に陥っていたため例外的に認められた。 1960年代から、各都市銀行が企業グループを形成する動きの中で、大和銀行も第一銀行(後の第一勧業銀行を経て現在のみずほ銀行)の「第一原子力グループ」に参加していたが、1987年、関西地方に地盤のある企業40社が、「国際花と緑の博覧会」への参加を目的に集合、これが「大輪会」へと発展し、大和銀行はその中核銀行に収まった。しかし、バブル崩壊後は、次第に他の都市銀行とは志向を異にして、地元・大阪に密着した地域密着路線を推進するようになっていく。
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