ヤマトの人々
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「火怨・北の英雄 アテルイ伝」の記事における「ヤマトの人々」の解説
桓武天皇(かんむてんのう) (山部親王 → 桓武天皇) 演:近藤正臣 第50代天皇。名は山部(やまべ)。 皇太子の時分から蝦夷征伐に意識を向けており、紀広純に胆沢・志波の蝦夷攻略と柵の築城を命じる。即位して後、平安な世を作るという大義のため、平安京への遷都、そして幾度と蝦夷を平定の軍を派兵する。特に蝦夷軍の大将である阿弖流為の首級に執着し、後に田村麻呂の阿弖流為ら助命嘆願をも一蹴する。 坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ) 演:髙嶋政宏 ヤマトの豪族。 代々武人の家系に生まれ、自身も武人である。皇太子の頃より桓武天皇に信を置かれている。近衛将監の時分、都で殺されそうになっていた阿万比古を見かけ、その命を救って奴婢とする。その後も何かと阿万比古には目をかけていた。後に征夷副使、次いで征夷大将軍に任命され、蝦夷征討に従事する。正攻法よりも阿弖流為暗殺や懐柔などの奇策を好み、最終的に阿弖流為らを降伏させることに成功した。阿弖流為らを認め、桓武天皇に助命を嘆願するが、認められることはなかった。 道嶋大楯(みちしま の おおたて) 演:斎藤洋介 陸奥国牡鹿郡大領。 陸奥の在地豪族でありながら、蝦夷に強い差別意識を持っている。蝦夷征討では実務官として行動し、胆沢・志波攻略に着手するが、伊治城で部下であった呰麻呂によって刺殺される。 紀朝臣広純(きのあそん ひろずみ) 演:吉見一豊 陸奥介。 陸奥国府の多賀城で蝦夷征伐の指揮を執るために奈良より派遣されてきた貴族。在地豪族や俘囚を従えて胆沢・志波攻略を目論むが、呰麻呂の反乱によって伊治城で死亡する。 道嶋御楯(みちしま の みたて) 演:山下徹大 道嶋大楯の息子。 父と同じく蝦夷に対する差別意識を持っている。蝦夷征討では父とともに実務官として行動していたが、呰麻呂の反乱で父を失い、自らもからがら伊治城を逃れた。その後は父の敵を討つために呰麻呂の行方を追う。またその後の蝦夷征討軍にも参加している。 紀朝臣古佐美(きのあそん こさみ) 演:林泰文 征東大使。 呰麻呂の乱によって混乱する蝦夷を平定するため、桓武天皇に任じられて5万の兵を率いて陸奥へ出兵する。梅雨を前に決戦を決めようとするも果たせず、巣伏の戦いで大敗を喫してしまう。 入間広成(いるま の ひろなり) 演:春田純一 征東副使。 紀古佐美の副将として蝦夷征伐に従軍。実戦の指揮官として蝦夷と矛を交えた。しかしお世辞にも良将とは言えず、愚策を披露して蝦夷軍の罠にかかり大敗を喫する。 大伴宿禰弟麻呂(おおとものすくね おとまろ) 演:並樹史朗 征夷副使。 征東大使の位に就いていたが、桓武天皇より直々に征夷大使の名を与えられ、紀古佐美に続く二度目の蝦夷大征伐の軍を率いて陸奥へ入る。 巨勢朝臣野足(こせのあそん のたり) 演:陰山泰 征夷副使。 坂上田村麻呂らと同時に、征東副使から征夷副使へ任命される。その際、戦況への楽観を語ったために桓武天皇から叱責されてしまう。 百済王俊哲(くだらのこにきし しゅんてつ) / 多治比浜成(たじひ の はまなり) 演:小井土一章(俊哲) / 一岡裕人(浜成) 征夷副使。 坂上田村麻呂や巨勢野足らとともに征夷副使に任命され、陸奥へ派遣される。
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