ヤマトの人々とは? わかりやすく解説

ヤマトの人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 07:10 UTC 版)

火怨・北の英雄 アテルイ伝」の記事における「ヤマトの人々」の解説

桓武天皇かんむてんのう) (山部親王桓武天皇) 演:近藤正臣50代天皇。名は山部(やまべ)。 皇太子時分から蝦夷征伐意識向けており、紀広純胆沢志波蝦夷攻略と柵の築城命じる。即位して後、平安な世を作るという大義のため、平安京への遷都、そして幾度蝦夷平定の軍を派兵する。特に蝦夷軍の大将である阿弖流為首級執着し、後に田村麻呂阿弖流為助命嘆願をも一蹴する坂上田村麻呂さかのうえ の たむらまろ) 演:髙嶋政宏 ヤマト豪族代々武人家系生まれ自身武人である。皇太子の頃より桓武天皇に信を置かれている。近衛将監時分、都で殺されそうになっていた阿比古を見かけ、その命を救って奴婢とする。その後何かと比古には目をかけていた。後に征夷副使次いで征夷大将軍任命され蝦夷征討従事する正攻法よりも阿弖流為暗殺懐柔などの奇策好み最終的に阿弖流為らを降伏させることに成功した阿弖流為らを認め桓武天皇助命嘆願するが、認められることはなかった。 道嶋大楯(みちしま の おおたて) 演:斎藤洋介 陸奥国牡鹿郡大領陸奥在地豪族ありながら蝦夷に強い差別意識持っている蝦夷征討では実務官として行動し胆沢志波攻略着手するが、伊治城部下であった麻呂によって刺殺される。 紀朝臣広純(きのあそん ひろずみ) 演:吉見一豊 陸奥介陸奥国府の多賀城蝦夷征伐指揮執るために奈良より派遣されてきた貴族在地豪族俘囚従えて胆沢志波攻略目論むが、呰麻呂反乱によって伊治城死亡する道嶋御楯(みちしま の みたて) 演:山下徹大 道嶋大楯息子。 父と同じく蝦夷対す差別意識持っている蝦夷征討では父とともに実務官として行動していたが、呰麻呂反乱で父を失い、自らもからがら伊治城逃れたその後は父の敵を討つために呰麻呂行方を追う。またその後蝦夷征討軍にも参加している。 紀朝臣佐美(きのあそん こさみ) 演:林泰文 征東大使。 呰麻呂の乱によって混乱する蝦夷平定するため、桓武天皇任じられ5万の兵を率いて陸奥出兵する梅雨前に決戦決めようとするも果たせず、巣伏の戦い大敗喫してしまう。 入間広成(いるま の ひろなり) 演:春田純一 征東副使紀古佐美副将として蝦夷征伐従軍実戦指揮官として蝦夷と矛を交えたしかしお世辞にも良将とは言えず、愚策披露して蝦夷軍の罠にかかり大敗喫する大伴宿禰麻呂おおとものすくね おとまろ) 演:並樹史朗 征夷副使征東大使の位に就いていたが、桓武天皇より直々に征夷大使の名を与えられ紀古佐美に続く二度目蝦夷征伐の軍を率いて陸奥へ入る。 巨勢朝臣野足(こせのあそん のたり) 演:陰山泰 征夷副使坂上田村麻呂らと同時に征東副使から征夷副使任命されるその際戦況への楽観語ったために桓武天皇から叱責されてしまう。 百済王俊哲くだらのこにきし しゅんてつ) / 多治比浜成(たじひ の はまなり) 演:小井土一章(俊哲) / 一岡裕人(浜成) 征夷副使坂上田村麻呂巨勢野足とともに征夷副使任命され陸奥派遣される

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