ムハンマド・イブン・サウードとの協定
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「ムハンマド・イブン・アブドゥル=ワッハーブ」の記事における「ムハンマド・イブン・サウードとの協定」の解説
アル=ウヤイナから追放されたイブン・アブドゥル=ワッハーブは、近隣のアッ=ディルイーヤの有力者、ムハンマド・イブン・サウード(英語版)により、アッ=ディルイーヤに住むよう、招かれた。同地にしばらく滞在して、イブン・アブドゥル=ワッハーブは彼と同盟を組むことを決めた。権力者と組むのは二回目になるが今度はうまく行った。二人はアラビア半島の各アラブ部族を自分たちが想定するところのイスラームの「真正の」教えに立ち返らせようという点でお互いに合意した。ある史料によると二人が始めて相まみえたとき、イブン・サウードは次のように宣言したという。 “ このオアシスはあなたのものです、敵を怖がりなさいますな。たとえ全ナジュドにあなたを追い出せと、号令がかけられたとしても、神の御名にかけて、私たちは決してあなたの追放には与しませんぞ。 ” —マダーウィー・アッ=ラシード(英語版)(A History of Saudi Arabia: 16より) ムハンマド・イブン・アブドゥル=ワッハーブはこれに答えて曰く、 “ オアシスの長にして賢明なるあなたに、一つお願いがあります。あなたがカーフィルどもへのジハード(訳注:ここではイスラーム弘宣のための拡大ジハード)を実行に移すという誓いを、ここでわたしに立ててください。そうすればあなたはきっと、ウンマのイマームになるでしょう。わたしは神の教えに関わる問題に関してのイマームとなりましょう。 ” —マダーウィー・アッ=ラシード(A History of Saudi Arabia: 16より) と述べた。合意はお互いに忠誠の誓い(バイア(英語版))を交わすことで確認された。イブン・アブドゥル=ワッハーブは宗教問題に関して責任を負うこととし、イブン・サウードは政治・軍事的問題の担当者になることになった。この歴史的合意は「相互支援協定("mutual support pact")」になり、アール・サウードの一族と、アール・アッ=シャイフ(英語版)及びイブン・アブドゥル=ワッハーブの弟子たちとの間の「権力分配に関する取り決め」にもなった。この合意は300年近く経った今でも続いており、サウード家の勢力拡大を促進させるイデオロギーとなった。 サウード家は、明確に定義された宗教上のミッション・大義名分が与えられたことで勢いづいた。サウード家の軍勢はナジュドを征服し、現代のサウジアラビア王国の国土全域とおおむね同じ範囲にまでサラフィー運動を及ぼした。そして当時民衆に受け入れられていたさまざまな信仰を多神教(シルク)に等しいとして根絶やしにする一方、イブン・アブドゥル=ワッハーブの教条を広めた。こうして、1744年の二人の協定はディルイーヤ首長国(第一次サウード王国)の出現というかたちで実を結んだ。
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