ムハンマド・シャーの堕落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 10:03 UTC 版)
「ムハンマド・シャー (ムガル皇帝)」の記事における「ムハンマド・シャーの堕落」の解説
いずれにせよ、サイイド兄弟により一年のうちにムガル帝国の皇帝が三度も代えられて、三人の皇帝が殺されたことは、帝権の衰退をあらわしていた。そのサイイド兄弟の横暴も終わり、安定期に入った帝国は新たな方向へ向かうと思われた。 だが、実権を握ったムハンマド・シャーはサイイド兄弟を討つや、すぐに宰相や大臣らに帝国の運営を委ねた。彼は気晴らしに動物を戦わせたり、後宮で快楽にふけるようになった。 1722年2月、「ニザームル・ムルク」の称号をもつトルコ貴族カマルッディーン・ハーンが宰相に任命された。彼はムハンマド・シャーのサイイド兄弟の打倒に全身全霊で尽くし、宰相として様々な行政改革を行おうとしたが、ムハンマド・シャーの干渉ですべて徒労に終わった。 さすがに、かつてムハンマド・シャーに味方した者たちの多くが、これらに失望させられ、内憂外患の帝国に未来が見いだせず、衰退する帝国から独立を考えるようになった。
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