帝国からの独立とニザーム王国の創始とは? わかりやすく解説

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帝国からの独立とニザーム王国の創始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/10 18:11 UTC 版)

カマルッディーン・ハーン」の記事における「帝国からの独立とニザーム王国の創始」の解説

だが、カマルッディーン・ハーンムハンマド・シャーの堕落側近いさかい次第愛想尽かすようになっていき、彼が行おうとした国政改革くだらない対立のために頓挫した。そのため、ついには帝国をその衰運任せ自身別の道を切り開く、つまり新たな国家樹立考えようになった。 そして、1723年10月カマルッディーン・ハーン宰相職を辞し帝国見切りをつけてデリー出て、自らの所領があるデカン高原国家樹立しよう南へ旅立った。この宰相独立をある歴史家はこう記している。 「 「彼の出立は、帝国からの忠誠美徳遁走象徴した」 」 1724年10月11日カマルッディーン・ハーン所領目指し南下中、彼に代わってデカン総督となっていたムバーリズ・ハーン率いムガル帝国軍の攻撃受けたシャカル・ケーダーの戦い)。だが、彼は巧妙な戦術ムガル帝国軍を完膚なきまでに打ち破り、ムバーリズ・ハーンを殺害し、これにより彼を始祖とするニザーム王国創始された。 同年12月7日カマルッディーン・ハーンハイダラーバードニザーム王国一時的な首都定め1725年1月16日にこの都市入城し、この地域の支配固めた。そのため、王国の名がこのハイダラーバードの名を冠してハイダラーバード王国とも呼ばれることもあった。 結局ムガル帝国はこの独立認めざるを得ず同年6月25日にはカマルッディーン・ハーン名目的デカン6州全体統括するデカン総督地位任命し、この地を事実上放棄することとなった。またこのとき、皇帝ムハンマド・シャーに「アーサフ・ジャー」の称号贈られ、この称号ニザーム王国王朝名となり、アーサフ・ジャーヒー朝とも呼ばれるようになった

※この「帝国からの独立とニザーム王国の創始」の解説は、「カマルッディーン・ハーン」の解説の一部です。
「帝国からの独立とニザーム王国の創始」を含む「カマルッディーン・ハーン」の記事については、「カマルッディーン・ハーン」の概要を参照ください。

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