ムスハフ解釈本とは? わかりやすく解説

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ムスハフ解釈本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 00:31 UTC 版)

『ムスハフ解釈本』(ムスハフかいしゃくぼん)とは、イスラーム教徒ではない異教徒の手により外国語に翻訳された、本文のみのムスハフのことである。本文に加えて、注釈解説が含まれているムスハフについて、これをどう呼ぶかについては、はっきりとしていない[1] 。異教徒の読者にとって、ムスハフの翻訳本を読むためには、訳者による注釈や解説は、不可欠なものであると言える。そのため、異教徒が「ムスハフ解釈本」と呼ぶ場合、注釈や解説もついた本と考えたほうが良いようである。


注釈

  1. ^ ムスハフ本文には、「ムスリムは異教徒とクルアーンについての講釈論争をしてはならない」という規定が存在している。そのため、注釈や解説付きの「ムスハフ解釈本」は、存在してはならない、それは神の命令である、という受け止め方がされているようだ。
  2. ^ 歴史的には、ムハンマド以前の数千年間の期間と、彼の死後約1400年の期間を比較してみると、人間の心や、社会の問題の質は変わっていないと言える。しかし、預言者の数は、12400人対 0人というアンバランスな状態が続いている結果となっている。(『聖典クルアーンの思想』大川玲子著 講談社 2004年 P50)
  3. ^ イスラム法学者は、時期的に新しい神の真理が、前からある神の真理を破棄することが出来るという方法を考え出した。これにより、「背信者は、その人が背信者であるために、神の真理が、食い違いがあるように見えるのだ」、という見解を、イスラム法学者は主張できるようだ。
  4. ^ 初期のキリスト教宗派の中のいくつかの宗派は、イエスが十字架につけられて死んだとは信じていなかった宗派があったとされている。ムハンマドもこれと同じように考えて、イエスが十字架で死んだことは虚妄であるとした。そして、ムハンマドは、彼らの虚妄を非難していたものであるとする解釈もある。[17]
  5. ^ 当初ムハンマドの教えはイエスの教えやブッダの教えと同じものであったが、剣を取ることにより矛盾が生じ、彼らの教えとはかけ離れたものになってしまった、とする見解がある。[22]
  6. ^ 霊の姿が見えないムハンマドは、「お前は今、こんなことを考えているだろう」、「神様にはすべてお見通しだ」、「疑うことは背信行為である」という啓示を受けた場合、ムハンマドはその真偽を確かめるすべを持たなかった。ムハンマドは、絶対帰依の態度で、それを受け入れた。こうした誘導行為は、悪霊を神として祀る宗教や、神による啓示宗教にはありがちなことであるとする見解がある。[23]
  7. ^ しかしながら、ムスハフにおいては、「モーセの教え」や「ナザレのイエスの教え」というふうには捉えられていない。それらについては、ムハンマドの生存した当時の各宗派の口伝や回答の中に出てくる聖典、といったような曖昧な捉え方が為されている。「啓典の民」という言い回しは、「クルアーンは最も優れた啓典である」という神による自己主張のひきあいに出されているだけの場合が多いといえる。
  8. ^ ムスハフ全体を通じて、神の呼称は一貫していないとされている。初期のメッカ時代には、その時期ではおもに「主」と「アッラー」が、用いられているとされる。[28]
  9. ^ ここでは、今現在啓示を下している神がそのままこの神殿の主であるとは言っておらず、厳密な意味では違うと見ることができる。啓示している神の方針としては、「他との調和を図りながら唯一の神を拝みなさい」ということで、彼らは彼らで彼らの神を、そのまま拝ませておけばよい、というふうに読める
  10. ^ 多神教徒は見つけ次第殺せという句は、生かそうとする神の意志に反するという見方もできる。「神は善い者の上にも悪い者の上にも太陽を登らせ、雨を降らせてくださる」、というイエスの言葉と同じようにも見える。日々刻々と人間を生かす働きをなす絶対的な神にとって、信仰者・不信仰者という見方や、敵・味方の次元は超えていると言える。
  11. ^ 一年に一度は、警告者の心の境地が聖断の夜と同調し、警告者にとっての運命の夜が訪れることが読み取れる。そして、その日は千の月(100年ほど)と同じほどの重要性があるということである。それはこういうふうにも読み取れる、「神の慈悲により、少なくとも100年に一度、預言者が出現しつづける」と。神は、世の苦しみが続く限り、預言者の系譜を続けてゆくようだ。
  12. ^ 現在のイスラームのように、警告者が、神の意志に反してこの世の王となったという事態に加えて、神が、「私は、ムハンマドで預言者を世に送ることをやめる」という啓示を下せば、神は、彼の後に続く預言者の系譜の全体を否定できることとなる。
  13. ^ 86章4には、人間が魂を持つことが記されており、指導の天使がついているとされている。また、明言されていない最後の審判は肉体が滅ぶ最後の時とも読める。この章句と同じように、ナザレのイエスにおいても、最後の審判はいつくるかは、神以外には、わからない、とした。終末論#ナザレのイエスが語った終末観参照
  14. ^ このわけ方で全体の啓示を分割した方が、神の啓示と、ムハンマドの心の状態との関連性がつかみやすいと言える。
  15. ^ モーセはシナイ山にて40日、イエスは荒野にて40日、聖なる生活を送ったとされる。
  16. ^ イエスは最終的に、王になる道は選ばなかったとされる。新約聖書マタイ4章8
  17. ^ 岩波書店2000年旧約聖書〈II〉出エジプト記 レビ記P89。伝統的なキリスト教とは異なり、他の神々の存在そのものを否定する発言ではないとしている。(出エジプト記20:3の注、木幡ら)
  18. ^ しかし、初期の啓示とされるものについても、ヒラー山にて下されたものはごくわずかであり、2年ほど通信は途絶えたとされている。その後は、当時の偶像崇拝のメッカであった神殿にて再開されたと言われている。当時の神殿は、人身御供も行われるほど、霊的に乱れた場所であり、その後の神の啓示の神聖さに大きな影響を与えたと考えられる。詳しくはナスフを参照のこと。
  19. ^ 内面的に純化されたイスラームは、「悟り」を求める修行者の意識と共通する部分があると言える。このように、内面的ともいえるイスラームの一宗派は、イスラーム自身の歴史的形態の否定スレスレのところまで来ているとされている。そのため、イスラーム教において彼らは、異端として弾圧されてきたとされている。(出典『イスラーム文化』 岩波書店 1991年 P218 井筒俊彦著)

出典

  1. ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年P64
  2. ^  『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 P125 後藤
  3. ^ 『コーラン 上』井筒俊彦著 岩波書店 1957年 P299 解説
  4. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦岩波書店1991年P154
  5. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦岩波書店1991年P43
  6. ^ 『イスラームの歴史』カレン・アームストロング小林朋則訳 中央公論新社2017年P38
  7. ^ 『コーラン 中』井筒俊彦 岩波書店1958年P302 解説
  8. ^ a b 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P38
  9. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P48
  10. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P212
  11. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P170
  12. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦著 岩波書店 1991年 P210
  13. ^ マララ・ユサフザイの国連本部でのスピーチhttps://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/4790/
  14. ^ 『マホメット』井筒俊彦 講談社 1989年 P110
  15. ^ 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社1971年P82
  16. ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P118
  17. ^ 『コーラン 1』藤本勝次 伴康哉 池田修 中央公論新社 2002年 P130 注9
  18. ^ a b c 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P13
  19. ^ 『コーラン下』井筒俊彦 岩波書店 1958年 P318 
  20. ^ a b 『コーラン 1』藤本勝次 伴康哉 池田修 中央公論新社 2002年 P252 注28 注29 注32
  21. ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P44
  22. ^ 『心眼を開く』高橋信次著 三宝出版 1974年 P142
  23. ^ 『心の指針』高橋信次著 三宝出版1974年 P80
  24. ^ 『聖典「クルアーン」の思想』大川玲子著 講談社 2004年 P32
  25. ^ 『クルアーン入門』松山洋平 作品社 2018年 P1
  26. ^ 『ムハンマド』 カレン・アームストロング著 徳永理沙訳国書刊行会 2016年 P14
  27. ^ 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社 1971年 P15
  28. ^ 『コーラン 1』中央公論新社 池田修前書き・イスラームの聖典 P27
  29. ^ a b c 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社 1971年 P12
  30. ^ 『コーラン下』井筒俊彦著岩波書店1958年 P305の注
  31. ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P34
  32. ^ 『マホメット』藤本勝次著 中央公論社 1971年 P10
  33. ^ 『コーラン 下』井筒俊彦著 岩波書店1958年 P295
  34. ^ 『コーラン下』井筒俊彦著岩波書店1958年 P270の注
  35. ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P60
  36. ^ 『ムハンマド』カレン・アームストロング著徳永理沙訳 2016年国書刊行会 P62
  37. ^ 『イスラーム文化』井筒俊彦 岩波書店著 1991年P43
  38. ^ 『コーラン 中』井筒俊彦岩波書店 1958年 P301 解説
  39. ^ 『コーランの新しい読み方』ジャック・ベルク著 内藤陽介 内藤あいさ訳 晶文社 2005年P26
  40. ^ 『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著 小林朋則訳 中央公論新社 P15
  41. ^ 『クルアーン入門』松山洋平編 作品社 2018年 松山洋平 P19
  42. ^ 『イスラームの歴史』カレン・アームストロング著 小林朋則訳 中央公論新社 P11
  43. ^ 『マホメットの生涯』 河出書房新社 2002年 P22 ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和夫訳
  44. ^ 『マホメットの生涯』河出書房新社 2002年 ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和夫訳
  45. ^ 『ムハンマド』国書刊行会 2016年 P45 カレン・アームストロング著 徳永理沙訳
  46. ^ 『心眼を開く』 三宝出版 1974年 P142 高橋信次著
  47. ^ 『イスラーム文化』 岩波書店 1991年 P212 井筒俊彦著


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