ミノルタ製カメラの歴史とは? わかりやすく解説

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ミノルタ製カメラの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 05:04 UTC 版)

ミノルタ」の記事における「ミノルタ製カメラの歴史」の解説

1929年発売ベスト判カメラ「ニフカレッテ」に始まる。その後二眼レフカメラを得意としていたが、1947年発売の「ミノルタ35」を皮切りに次第35ミリカメラ開発比重移していくこととなる。 1962年NASA厳し試験クリアした35mmレンズシャッターカメラ「ハイマチック」がジョン・ハーシェル・グレン中佐乗り込むフレンドシップ7号の宇宙飛行カメラとして採用されフレンドシップ7にちなん製品名称に7を多用するうになるミノルタカメラ普及した背景には技術力さることながらミノルタCM戦略大きかった1980年当時大学生宮崎美子起用したX-7」のCM大ヒットX-7瞬く間当時のベストセラーモデルとなった1985年発売世界初システム一眼レフカメラ「α-7000」に始まるオートフォーカス一眼レフカメラのαシリーズは、マニュアルフォーカスとの互換性をなくし絞りボディー側から電子制御する等、電子化された新マウントミノルタAマウント採用し第1回ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど日本のみならず世界中でヒットとなったが、1987年アメリカ合衆国ハネウェル社が、同社保有するオートフォーカス技術特許侵害訴訟起こしミノルタは約1億ドルもの和解金支払うこととなった。この特許侵害訴訟ではサブマリン特許という概念日本企業認知された。 詳細は「ミノルタ・ハネウェル特許訴訟」を参照 このハネウェルとの特許訴訟敗れたことに加え、キヤノン・ニコンが地道に改良重ね、やがてカメラ売上ミノルタ上回るうになるデジタルカメラ開発では競合他社大きく遅れをとり、2003年コニカ合併しコニカミノルタホールディングスとなってからも、CCDイメージセンサを動かすことで手ぶれ補正する「アンチシェイク」など独自の技術他社挑んだものの努力実らず次第業績悪化2006年1月19日コニカミノルタホールディングスは翌2006年3月末に写真フィルムからレンズ・カメラに至る全ての写真関連分野から撤退することを発表した。「α」ブランドを含むデジタル一眼レフカメラについては先に提携発表していたソニー譲渡し同時をもって長年続いたミノルタカメラ事業幕を閉じた詳細は「ミノルタのカメラ製品一覧」を参照

※この「ミノルタ製カメラの歴史」の解説は、「ミノルタ」の解説の一部です。
「ミノルタ製カメラの歴史」を含む「ミノルタ」の記事については、「ミノルタ」の概要を参照ください。

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