ミクロフィラリアの夜間定期出現性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:37 UTC 版)
「八丈小島のマレー糸状虫症」の記事における「ミクロフィラリアの夜間定期出現性」の解説
佐々は名主や島の長老たちに、この病気はフィラリアという病気によく似ているが、それを確かめるために血液検査が必要なので今晩協力してほしいと伝えた。ヒトに罹患するリンパ系フィラリア虫は血管やリンパ管の中に寄生する寄生虫である。したがって血液中からフィラリア虫の幼生であるミクロフィラリアが確認できれば感染の有無は判別できる。ただ、この採血検査は夜間に行う必要があった。その理由はミクロフィラリアの夜間定期出現性 である。 前述したように19世紀の後半、中国南部(現、福建省)のアモイで研究を行っていたマンソンは、マラリアの感染経路を調べるため飼育していた蚊が、飼育籠の中から逃げ出して水に溺れているのを見つけ、その水を100倍ほどの顕微鏡で見るとマラリアの原虫ではなくフィラリアの幼虫のミクロフィラリアが泳いでいた。マンソンはフィラリアに興味を持ち、当時のアモイに多数いたフィラリア症患者の採血のため中国人の助手を2人雇い、1人は昼間、もう1人は夜間に働かせた。しかし患者の血液中からミクロフィラリアが確認されるのは決まって夜勤の助手の採血によるもので、日中勤務の助手からは一切確認できなかった。マンソンは昼間の助手がサボっているものと思い込んで、新たに別の中国人助手を雇った。ところが結果は同じであり、マンソン自身も研究室に来るのが夜の時にだけミクロフィラリアが確認されていたことに気がつく。そこでマンソンは1人のフィラリア症患者を対象にして、3時間置きに採血して血中のミクロフィラリアを数える調査を1か月以上続けグラフ化すると、午後6時過ぎから血中にミクロフィラリアが現れ始め、午前1時頃にピークを迎え午前8時以降は血液中から確認されなくなることが分かった。さらに別のフィラリア症患者を昼間に寝かせ夜間に起きる昼夜逆転生活にさせても結果は同じで、治験者の睡眠の時間帯に関係なくミクロフィラリアの出現は夜間に限られていた。 1879年(明治12年)のことで、マンソンはこの現象をミクロフィラリアの夜間定期出現性 nocturnal periodicityと名付けて発表し世界の医学者を驚かせた。その後も、世界各地の研究者によって蚊が媒介する生活環やミクロフィラリアの形態や性質などの基礎的な研究は進んでいたが、佐々が初めて八丈小島を訪れた1948年(昭和23年)当時、フィラリア症に対する有効な治療法や治療薬は未だに確立されていなかった。
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