マルクス・クラウディウス・マルケッルス
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「スポリア・オピーマ」の記事における「マルクス・クラウディウス・マルケッルス」の解説
最後にこの栄誉を受けたのは、「ローマの剣」と称された将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルス(紀元前268年 - 紀元前208年)で、紀元前222年にガリア人のガエサティ族の王ブリトマルトゥスあるいはウィリドマルスを一騎討ちで倒した。 紀元前225年、インスブリア族を中心とするガリア人の集団が、第一次ポエニ戦争直後で疲弊しているローマに宣戦布告したが、4年間の戦いの末、紀元前222年に降服した。当時の執政官は和平を受け入れようとしたが、将軍マルケッルスは徹底追撃を主張、この意見は元老院に受け入れられ、同僚グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスと共に執政官に任命された。ところが、その間にインスブリア族は、近隣の強力なガエサティ族を味方につけ、総計3万という大軍でポー川北辺のアケラエ市に進軍していた。 マルケッルスは、ローマ軍の大半を同僚に預けアケラエ市を防衛させると共に、自身は少数の手勢を軽装にして引き連れ、速やかにガエサティ族の手勢1万が駐留するクラスティディウム村に向かった。ガエサティ軍は、ローマ軍が数でも質でも劣ることを侮り、ブリトマルトゥス王を先頭として一直線に突撃したが、マルケッルスはそれを逆手に取り、自分自身を軍の中央において囮にしつつ、騎兵を両翼に散開させてガエサティ軍を挟撃した。ちょうど戦場の中央で対面する陣容となったマルケッルスとブリトマルトゥスは、その装備から互いに軍団の指揮官であると認め合い、一騎討ちを挑んだが、最初の一合でマルケッルスの槍は王の金銀で刺繍された鎧を貫き、落馬した王に更に二度の攻撃を加えて絶命させた。この勝利が決定打となって対ガリア戦役は大勝に終わり、マルケッルスは史上三度目のスポリア・オピーマの保持者として、絶大な賞賛をもってローマに凱旋帰国、伝承に従い王の鎧を樫の木に巻きつけてユーピテル・フェレトリウスに奉献した。 この戦いで猛将としての評価を不動にしたマルケッルスは、第二次ポエニ戦争でも起用され、科学者アルキメデスの発明品で守られた難攻不落の要塞シラクサ市を陥落させた。さらにカルタゴの知将ハンニバルと互角の戦いを繰り広げたが、勇猛さが仇となり、紀元前208年、偵察中に戦死した。
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