マリンパーク境ガ浜の終焉
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「マリンパーク境ガ浜」の記事における「マリンパーク境ガ浜の終焉」の解説
この場所は尾道市・福山市内の双方から交通の便が悪く、唯一の道路・広島県道389号草深古市松永線も、全般に渡って狭隘道路であり、観光バスが簡単にいける場所ではなかった。水族館の入場客は初年度27万人であったが1997年度は15万人に落ち込んだ。施設として赤字となったのは1997年度が初であった(3800万円の赤字)、1998年3月までに1億2300万円の累積赤字となり瀬戸内海中部開発は「マリンパーク境ガ浜」としての事業継続が困難と同年5月に判断、尾道市や沼隈町もこれを議会で承認し閉鎖の方針が決定した。1999年より金融機関から借りた借入金12億円の返済が始まることも懸念された。この判断には、常石造船経営陣の、「このままでは赤字を積み重ね、損失補てんに余分な金がかかる」「行政に負担を求めれば税金の無駄遣いにもなる」「企業が責任を持って引き継いだ方がベストだ」などの意見が影響したとされる。尾道市は、2000年のしまなみ海道開通を睨んで事業継続を希望したが、尾道市として新規の増資は出来なかった。水族館は海外に売却、借入金の返済に充てる提案があったが、実現しなかった。施設への道路整備が遅れたことが経営不振の原因の1つとして挙げられた。営業時間は午前9時から午後9時で入場料は大人1300円、中学生以下800円であった。1997年8月17日以前は午前9時から午後10時、入場料大人2000円中学生以下1000円だった。1998年度の入場者数は10万人であった。1999年8月31日、瀬戸内海中部開発は解散し、株式は筆頭株主の常石造船に譲渡された。水族館は閉鎖された。
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