マラドーナとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 14:51 UTC 版)
詳細は「ディエゴ・マラドーナ#交友関係」を参照 1980年代から1990年代のスター選手であるアルゼンチンのディエゴ・マラドーナとはしばしば比較対象とされている。2000年12月にFIFA20世紀最優秀選手が発表されることになったが、ペレはFIFAの役員を始めとしたサッカー関係者による投票では72.25%の投票率を得て2位のアルフレッド・ディ・ステファノと3位のマラドーナを上回ったものの、FIFA公式サイトによるインターネット投票ではマラドーナが53.6%の投票率を得たのに対しペレは18.53%と下回った。FIFAは当初、最優秀選手を一人だけ選ぶ事にしていたが、双方の結果に対しブラジルとアルゼンチンの両国間で激しい論争となった。事態の沈静化に乗り出したFIFAは最終的にペレをFIFA選考委員会による最優秀選手とし、マラドーナはインターネット投票による最優秀選手として賞を分け合うことに決め、両者はイタリアのローマで行われた授賞式に出席した。 このように両者並び立つ存在として評価され、お互いに偉大な選手として一定のレベルで認め合う存在ではあるが、その一方で、ブラジルとアルゼンチンのライバル関係を元に両国のマスコミが煽り立てたこともあり、マラドーナが2020年11月に逝去するまでの間は長年事あるごとに批判や非難の応酬を繰り返した。マラドーナは子供時代に同じスラム街に生まれてサッカー界の英雄となったペレを訪ねて隣に座って親しく話したいという夢を抱き、1979年にはリオデジャネイロ巡礼の旅に出たほどであったが、1982 FIFAワールドカップでアルゼンチンが2次リーグのブラジル戦で敗れて敗退が決まった際にペレがマラドーナに対して「マラドーナは人間性に欠けるところがあるため、そのサッカーの才能を台無しにしてしまった」、「私は、マラドーナが世界のサッカーファンから称賛を受けるだけの十分な偉大さを持っている人間かどうか、大きな疑問を持っている」と手厳しく批判し、これでマラドーナもペレに対して悪感情を抱くようになった。 ペレは2008年にマラドーナの薬物違反について「彼はドーピング検査で陽性反応が出ている以上、受賞したタイトル全てを剥奪されるべきだった。ドーピング検査で陽性反応となったオリンピック選手らはメダルを剥奪されているのだから、マラドーナが剥奪されないのはおかしい」とマラドーナを批判し、2009年9月には、マラドーナが「彼はW杯を多く勝ち取っているが、欧州でプレーするのはまた別のことだ」とペレの記録を軽視する発言をした直後に、ペレは「マラドーナは偉大な選手だが、右足で蹴ることができず、ヘディングでの得点はなかった。彼がヘディングで決めた唯一の重要な得点はハンドだったことが判明している」と反論。2010年6月には、2010 FIFAワールドカップの開催を過去に疑問視していた時期があったペレをマラドーナが大会開幕後に当時の発言を持ち出して批判すると、これに対しペレは「彼が代表監督を引き受けたのは、金と仕事を必要としていて、再び世間の注目を集めたいと思っていただけだ。監督にしたのは大間違いだ」「私にもっと敬意を払うべきだ」と反論。更にマラドーナも自分の監督手腕を疑問視されたことで「(ペレは)博物館へ戻るべきだ」とコメントし、非難の応酬を繰り返した。 2020年11月25日にマラドーナが逝去したことを受けて、ペレは自身のインスタグラムアカウントにおいて1986 FIFAワールドカップでアルゼンチンが優勝してトロフィーを掲げるマラドーナの写真を投稿し、「きょう悲しいニュースがあった。私は親愛なる友を失い、世界はレジェンドを失った。言いたいことはもっとあるが、ひとまず、神が彼の家族に力を与えてくれますように。いつか天上で一緒にサッカーができることを願う」と述べた。
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