マラハイドのタルボット男爵に叙される
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 07:30 UTC 版)
「マラハイドのタルボット男爵」の記事における「マラハイドのタルボット男爵に叙される」の解説
その子孫にあたるリチャード・タルボットの妻マーガレット(?-1834)は1831年にアイルランド貴族としてダブリン県マラハイドのタルボット女男爵(Baron Talbot of/de Malahide, in the County of Dublin)に叙せられた。彼女が1834年に没すると、爵位はその息子リチャードが相続した。 2代男爵リチャード(1766-1849)はホイッグ党の政治家として活動したほか、1839年5月8日にダブリン県マラハイドのファーニヴァル男爵(Baron Furnival of Malahide, in the County of Dublin)に叙せられた。この爵位は連合王国貴族爵位であったためリチャードは貴族院に列したが、彼が嗣子なく没すると、わずか一代で廃絶している。一方で、アイルランド貴族爵位のタルボット男爵は弟のジェームズ及びその長男へと受け継がれた。 4代男爵ジェームズ(1805-1883)は自由党の政治家としてアスローン選挙区(英語版)選出の庶民院議員を務めたのち、1856年11月19日にダブリン県マラハイドのタルボット男爵(Baron Talbot de Malahide, in the County of Dublin)に叙された。本爵位は連合王国貴族爵位であり、彼は叔父(2代男爵)同様に貴族院に籍を移している。 その孫にあたる6代男爵ジェームズ(1874-1948)が子のないまま亡くなると、2つの爵位は従兄弟のミロに継承された。 7代男爵ミロ(1912-1973)は駐ラオス大使(英語版)を務めた外交官であったが、彼もまた継承すべき男子を欠いたため、連合王国貴族爵位のタルボット男爵は廃絶した。他方、アイルランド貴族爵位のタルボット男爵は遠縁のレジナルド及びその弟ジョセフの順で相続されたものの、再び男子を欠いたため、従姪にあたるレジナルドが爵位を襲った。 10代男爵レジナルド(1931-2016)は1945年に勅許を得て母方の姓である「アランデル(Arundell)」に改姓したほか、同家の紋章を一族のエスカッションに加えており、これが現在の男爵家の紋章となっている。 その息子である11代男爵リチャード(1957-)がマラハイドのタルボット男爵家現当主である。 かつての一族の邸宅には、ダブリン近郊のマラハイド城(英語版)やエアーシャーに位置するオーキンレックハウスがあった。
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