マラビ
マラビ帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/09 00:32 UTC 版)
詳細は「マラビ帝国」を参照 現在のマラウイの国家名であるMalawiは、かつてこの地域に存在したマラビ帝国(Maravi )の語に由来するものである。マラビ帝国として知られるこの国家は、15世紀終わりごろにバントゥー系民族のマラビ族によって建国された。現在のチェワ族の先祖として知られるマラビ族は、現在のコンゴ共和国がある地域から、病気や社会的騒乱から逃れるためにマラウイ湖の北側地域まで移住してきた。そのため、"Chewa"の語は"外国人"を意味する単語であるとの説がある。移住した先でマラビ族は、統一的な防衛組織を持たずに小規模な家族のクランを構成して生活する先住民族のトゥワを攻撃して追い詰め、殲滅していった。なお、このマラビ帝国の人々は、製鉄業に携わっていたことが知られている。また、マラビとは"光線"を意味すると考えられ、この国名は多くの窯が夜空を照らす姿から由来した可能性がある。 マラウイ湖の南西部の海岸で発足したマラビ帝国は、最終的にはマラウイのほかに現代のモザンビークやザンビアの一部を含む、広大な領土を持つ国家へと成長した。このマラビ帝国が発展していた期間の支配者は、フィリ(Phiri)の氏族に属するカロンガ(Kalonga)の肩書きを持つものであり、自らの居住地をマンチンバ(Manthimba)に置いた。カロンガの指揮の下、新たな領土を占有し、征服するための下位首長が任命されていた。しかし、任命を受けた下位首長同士の争いや奴隷貿易の影響を受けてカロンガの権威は低下し、18世紀初頭の頃からマラビ帝国は衰退し始めた。
※この「マラビ帝国」の解説は、「マラウイの歴史」の解説の一部です。
「マラビ帝国」を含む「マラウイの歴史」の記事については、「マラウイの歴史」の概要を参照ください。
- マラビ帝国のページへのリンク