ペンの材質、インクの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 12:30 UTC 版)
ヒトがいつごろから指で砂や土に線を描いていたのか、指や棒に顔料をつけ岩壁などに線を描いていたのか正確なことは分かっていない。ただ、ラスコー洞窟の壁画など、太古の洞窟壁画には、ヒトの手形、木の棒に赤土などをつけて描いた線や絵画などが残されている。棒や茎を利用しそれを細く削ることで、指先に顔料をつけて描くのと比べて、細い線を描くことも出来る。ペンの最も単純な形態は、棒や茎の先に顔料をつけ、これを擦り付け線を描くことだとも言えよう。 シュメール人によって古代メソポタミア時代、3000年にもわたって楔形文字で様々な記録がされたわけだが、それは粘土板が湿ってやわらかいうちに、木の棒でくさびがたの印を複数つけて文字としたもので現代では楔形文字と呼ばれる。文字は粘土の凹みで表現され、インクは用いなかった。 パピルスに文字を書くには、古代エジプトでは葦の茎をペンとして使った。茎を斜めに切り、尖らせることで細い線も描けた。古代ギリシアやローマでもパピルスを用いたのだがギリシアやローマでは葦のペン以外にも青銅製のペンも用いた。なお古代ローマでは粘土板も用いられていた。ローマ軍がガリアやブリタニアに遠征した時に、小さな四角い木枠に粘土を入れた粘土板に、尖った固い筆記具でラテン語で、本拠地のローマへ通信文を書くのに用いたものが近年でも発掘されている[要出典]。 タルムードの時代、ユダヤ人たちは葦の茎のペンを用いた。この時代のインクは、オリーブオイルの灯で器をあぶってできた煤を、オリーブオイルとはちみつと没食子(gallnut)に混ぜて用いた。 中世ヨーロッパでは羊皮紙に文字を書き、修道院などでは手書きの筆写による写本づくりを行っていた。ペンは鵞鳥などの羽根ペンを用い、インクは砕いた没食子を水で溶いたものとアラビアゴムの混合物を煤や鉄塩で着色した没食子インクを使った。
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