ペトロとサン・ピエトロ大聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:37 UTC 版)
「ペトロ」の記事における「ペトロとサン・ピエトロ大聖堂」の解説
かつてローマの郊外であったバチカンの丘のペトロの墓と伝えられる場所に後世になって建てられたのがサン・ピエトロ大聖堂(聖ペトロの大聖堂)である。サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇下にはペトロの墓所があるという伝承が伝えられていたが、実際はどうだったのかは長きにわたって謎とされていた。しかし1939年以降、ローマ教皇ピウス12世は考古学者のチームにクリプタ(地下墓所)の学術的調査を依頼した。すると紀元2世紀につくられたとされるトロパイオン(ギリシャ式記念碑)が発見され、その周囲に墓参におとずれた人々のものと思われる落書きやペトロへの願い事が書かれているのが見つかった。さらにそのトロパイオンの中央部から丁寧に埋葬された男性の遺骨が発掘された。この人物は1世紀の人物で、年齢は60歳代、堂々たる体格をしていたと思われ、古代において王の色とされていた紫の布で包まれていた。 1949年8月22日のニューヨーク・タイムズはこれこそペトロの遺骨であると報じて世界を驚かせた。さらに1968年にパウロ6世はこの遺骨が「納得できる方法」でペトロのものであると確認されたと発表した。もちろん考古学的には上記の「状況証拠」しかないので、真偽については半世紀以上が経過した2010年代になっても論争が続いている。 当該遺骨は発掘後、専用の棺が作られてそこに納められた上で、クリプタに設けられた専用の施設に安置されている。通常は一般には非公開であるが、教皇フランシスコはこの公開を許可し、2013年11月24日、前年10月から行われていた信仰年の締めくくりミサの中で、この棺が初めて公開された。
※この「ペトロとサン・ピエトロ大聖堂」の解説は、「ペトロ」の解説の一部です。
「ペトロとサン・ピエトロ大聖堂」を含む「ペトロ」の記事については、「ペトロ」の概要を参照ください。
- ペトロとサン・ピエトロ大聖堂のページへのリンク