ベルシー公園(12区)
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フランソワ・ミッテラン元大統領により整備された。フランス財務省の新建物に面している。付属のベルシー・アリーナでは運動のほか演奏会なども行われている。
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ベルシー公園(1994年–1997年)
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「パリの公園と庭園の歴史」の記事における「ベルシー公園(1994年–1997年)」の解説
12区セーヌ川沿いのベルシー公園の場所は、 ナポレオン3世の時代まで市の境界の端に位置した。もとは、樽ワインとスピリッツがはしけから降ろされ、都市に届けられる前に課税されたワイン倉庫の場所で、ミッテラン計画の下で、この新しい公園は、街の中心部にあるセーヌ川に沿って、 チュイルリー庭園に相当する東パリの公園として設計された。敷地にはすでに200年前の栗とオオバコの木が並ぶ広い通りがあり、ワイン貯蔵所の古い建物とともに新しい公園に統合。公園は市の中心部から遠く離れていたが、新しいパレオムニスポートの屋内スポーツ施設とシネマテーク(元はフランク・ゲーリーによって設計されたアメリカンセンター)の隣にあり、セーヌ川側では、公園は高いテラスに隣接しており、川沿いの高速道路の騒音を遮断し、セーヌ川と公園の両方を眺めることができる。公園には新石器時代の村が発見された場所に円形劇場もある。 新しい公園は、建築家のバーナード・ユエ、マドレーヌ・フェラン、ジャン=ピエール・フージュ、造園家のイアン・ラ・ケーヌ、フィリップ・ラギンによって設計された。彼らのデザインは、テーマを分けた3つの独立した庭園を作り、それらを分割する通りの歩道橋でつながっている。パレオムニスポートの近くにあるレプレーリーと呼ばれる西部の公園には、木の下の広い芝生がある。公園のこの部分は、非公式のスポーツ、サッカーのスケートボード、ローラーブレードにも使用されている。中央公園はレパルテールと呼ばれ、本格的なガーデニングに専念している。芳香族の庭、バラ園、および農業と園芸について学ぶために学校のグループが来る菜園が含まれる。東の庭は「 ル・ジャルダン・ロマンティック 」と呼ばれ、水をテーマとしており、運河、養魚池、滝、睡蓮のあるプールがある。
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