ベミス高地の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:43 UTC 版)
「サラトガ方面作戦」の記事における「ベミス高地の戦い」の解説
リンカーン部隊の2,000名に加えて、民兵隊が大陸軍宿営地に殺到し、大陸軍は15,000名以上まで脹れ上がった。バーゴインは10月3日に軍隊の食料が底を突き、翌日作戦会議を招集した。この会議の結論は約1,700名の部隊を大陸軍左側面に送って威力偵察を行うことだった。バーゴインとフレーザーは10月7日の午後早くにこの分遣隊を先導した。その動きは見張られており、ゲイツはダニエル・モーガンの兵士だけが対抗して出て行くことを望んだ。アーノルドはそれでは明らかに不十分であり、大部隊を送るべきと言った。ゲイツはアーノルドの言葉を最後まで聞かず、その言を無視して「貴方はここでは仕事ができない」と伝えた。しかしゲイツはリンカーンから与えられた同様な忠告には同意した。モーガンの中隊をイギリス軍の右翼に送ったことに加え、エノック・プアの旅団もバーゴインの左翼に派遣した。プアの部隊がイギリス軍と接触したときに、ベミス高地の戦い(第2次サラトガの戦い)が始まった。 大陸軍の最初の攻撃は非常に効果的であり、バーゴインは後退を命令しようとしたが、その命令が伝えられる前にその副官が撃たれた。激しい戦闘の中でバーゴイン軍の側面が露出し、中央ではブラウンシュヴァイク兵がラーニド隊の決死の攻撃に耐えていた。戦闘のこの段階でフレーザーが瀕死の重傷を負った。これはモーガン隊の狙撃手ティモシー・マーフィーの功績とされることが多いが、その話は19世紀に作り上げられたものである。フレーザーが倒れ、大陸軍の援軍が到着したことで、バーゴインはその軍の左翼になっていたものに塹壕線の背後まで後退するよう命令した。 アーノルドは自分が関わらない戦闘の音によってイライラが募り、ついに大陸軍の作戦本部から馬に乗って飛び出し、前線に加わった。アーノルドについて、酒を飲んで興奮していたという者もいるが、イギリス軍陣地に対する攻撃に加わった。イギリス軍前線の右翼は、フリーマン農場に造られていた2つの土盛り堡塁で構成されており、ハインリヒ・ブライマンが指揮するブラウンシュヴァイク兵とバルカレス卿が指揮する軽歩兵が守っていた。アーノルドは兵士を鼓舞してまずバルカレスの堡塁を攻撃したが成功しなかった。続いて大胆にもカナダ人非正規兵の小さな中隊が守る2つの堡塁の間の空間を馬で抜けて進んだ。ラーニド隊の兵士が後に続き、ブライマンの堡塁のがら空きになった後方を襲撃した。アーノルドが乗っていた馬が撃たれて倒れ、アーノルドを下敷きにしてその足を砕いた。ブライマンは激しい戦闘の中で殺され、その陣地は占領された。しかし、夜が訪れ、戦闘は終わりになった。この戦闘はバーゴイン軍とって流血の多いものとなり、約900名が戦死、負傷または捕虜となり、対する大陸軍は約150名の損失だった。
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