ヘンリー・クリントンの陽動行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:43 UTC 版)
「サラトガ方面作戦」の記事における「ヘンリー・クリントンの陽動行動」の解説
詳細は「クリントン砦とモントゴメリー砦の戦い」を参照 ハウ将軍はニューヨークを出てフィラデルフィアに向かう時に、ヘンリー・クリントン将軍にニューヨーク守備の任務を与え、もし機会があればバーゴインを支援するよう指示していた。クリントンは9月12日にバーゴインに宛てて伝言を送り、「貴方が2,000名の兵士で効果的に支援できると考える」ならば、「約10日の内にモンゴメリー砦に圧力を掛ける」つもりだと伝えていた。バーゴインはこの手紙を受け取ったとき、即座にクリントン隊が支援のためにオールバニに到着できるという可能性に基づいて、前進すべきか後退すべきかクリントンの指示を求める返書を出した。バーゴインは10月12日までに返事を受け取らなければ、撤退を強いられることになると示唆していた。 10月3日、クリントンは3,000名の部隊を率いてハドソン川を遡り、バーゴインの返書を受け取った1日後の10月6日にはクリントンとモンゴメリーと名付けられた2つの高台の砦を占領した。この勝利の後で送られた3人の伝令は全て捕まったので、バーゴインがクリントンの伝言を受け取ることは無かった。クリントンは勝利の後でハドソン川に架かっていた鎖を壊し、襲撃隊に川を遡らせて10月16日には北のリビングストン荘園まで進んだが、その後に撤退した。クリントンの動きに関する報せがゲイツのもとに届いたのはベミス高地の戦いが終わった後だった。
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